決してあきらめずに
統計開始以来はじめて、東北地方の太平洋側に台風が上陸するとのことで、この時間、すでに各地で大変な天候になっているものと思われます。幾重にもご注意いただき、大きな被害が出ないよう、衷心よりお祈りする次第です。
夏休み期間中は、立原道造の詩作品の朗読をつづけ、ご紹介してまいりました。明日が8月の最終日ですが、今日の午前中に時間が取れましたので、今日のこの「予後」をもって、今年の夏休みの立原作品の最終便とさせていただきます。3冊の詩集におさめられているソネット群の詩風とかなり異なる、特徴のある作品ですので、全体を引用させていただきたいと思います。
私の影がどこにもうつらない場所で私は光を見つめてゐる、それは淡い月の光か
星の光か私に分らない一面にうすやみのやうに私を囲んで私は次々に思ひ出してゐる
私の場所を捨てたひとたちを(それは私の昼であつたか)
つまり死んで行つた人など それからまた
つれなく立ち去つた人など 思ひ出してゐる
だれもゐない しかし私は いまはなぜ ひとりではゐないのだらう?私に分らない
生々しい傷口と歎きと私と 私の場所でない場所に
激しい闇と光とに飢ゑ渇きながら それは淡い
一面にうすらあかりのやうに影をさへとどめぬ場所に
なぜ遺された私とはつながりもない光といつしよに?
ほかにはこのような調子の作品は見られませんので、短歌で言えば「破調」のようなねらいがあったのかと思われます。前にご紹介した「ゆふすげびと」の次に掲載されていますので、昭和11年(1936年)の作品と考えられます。
わたくし個人のことで言えば、二十代の半ばにこの作品によって「予後」という言葉を知り、自分自身の第二歌集のタイトルを『予後』とさせていただいた、なつかしい思い出が付随しています。
また、本コラム(当サイト)ではご紹介しておりませんでしたが、立原道造の「やがて秋・・・・・・」も、これに先立って公開してあります。あわせてお目通しいただければ幸いに存じます。
やがて秋・・・・・・