決してあきらめずに
例年同様、本日8月6日の所感につきまして、「引用」の形で、敬体ではなく常体のまま、掲載させていただきます。日頃の文面にくらべて固く、失礼のある点はおゆるし下さい(言問学舎HPのブログと同内容です)。
昨年書いた通り、この一年間に広島の原爆のために亡くなられた方々5511人の名前を記した原爆死没者名簿2冊が、今朝、広島の平和(記念)式典に際して原爆慰霊碑に納められ、この71年間に原爆で命を奪われた人の数(原爆死没者名簿に記された人数)は、30万3195人となった。
今年は5月にアメリカのオバマ大統領が広島を訪問した。そしてつい先日、そのオバマ大統領が核実験の全面禁止を求める決議案を国連の安全保障理事会に提出する見通しだということが、新聞記事などで報じられた。いずれも画期的なことであるのは間違いないが、われわれ日本国民が手放しで喜ぶべきことではないだろう。
それはまず、オバマ氏の広島訪問を歓迎した、被爆体験を持つ方たちの中から、現在はオバマ氏の演説内容に対して懐疑の声が上がっていることにある。もちろんあの時、私もすぐに日本語訳は読んだが、局外者が読んで気づかないことにも、当事者の思いは及ぶのであるから、当事者であり、実際に原爆の惨禍を知る方たちの声を、尊重すべきだと思う。
また、核実験全面禁止の決議案ということであるが、実際に提出されたわけではないし、当のオバマ氏自身が就任間もない頃、「核のない世界を」と宣言したにもかかわらず、その後進展を見ていないという批判もある。さらにはアメリカが、ずっとCTBT(核実験全面禁止条約)を批准して来なかったこととの整合は、どうとるのだろうか(ニュースの一部では、オバマ大統領は議会に早期批准を求めて来たとされている)。
もちろん、批判をするのはたやすく(先のオバマ演説に対する広島の方の懐疑は除く)、実行するのは困難なことであり、オバマ氏を安易に批判するつもりはない。しかしわれわれ日本国民は、オバマ氏の行動が今後どのように推移するのか、きびしく見届けるべきだと思う。
さらに重要なのは、憲法改正の発議が数の上では可能になったとされる、国内の情勢に対するチェックと行動である。何よりも、ある一つの方向にしか動いて行かないとあきらめるのでなく、多様な考えと表現が可能である社会を維持すべく、一人一人が考え、時に応じては発信もしていくということが、今まで以上に重要となるだろう。その意味では国内の動きにこそ、さらなる注意と熟慮が求められるということを、今日は書きとめておくこととしたい。
2016年8月6日
小田原漂情