YouTubeで詩の朗読をはじめました(第1回は「レモン哀歌」です)!
12月も半ばを過ぎ、平成27年=2015年も、いよいよ残りあと10日あまりです。クリスマス、お正月を楽しみにしている子どもたちの心のうちは、手に取るように察せられますが、それだけではいけないよ、という戒め、導きも示さなければならないのが、塾教師として、避けられないところです。
ことに相手が受験生であれば、それはなおさらのこと。つらい気持ちをぐっと押さえて、より大きな喜びを2月、3月に味わわせてあげるのが、最大の務めです。また、こちらのそんな思いに応えてくれる受験生には、きっと大輪の花が咲きますし、中学から高校へ進学する子たちの場合は、とくに進学後のことをも見すえて、いましっかりした勉強をさせることが、何よりも大事です。
閑話休題。12月に入り、不定期公開の「詩の朗読」では、先日高村光太郎の「冬が来た」をお届けしましたが、つづいて今月15日火曜日、昭和12年(1937年)に満30歳で亡くなった詩人中原中也の「冬の長門峡」を朗読しました。
この作品を書く直前、中也はまだ幼い長男の文也を失っています。そして精神に変調をみたあとで、冬の長門峡(ちょうもんきょう)における過去の(おそらく精神的に)おだやかな日を回想した内容である、この作品を書いています。さらには翌年、中也自身が満30歳の若さで世を去ることを考え合わせると、「ああ!‐そのような時もありき/寒い寒い日 なりき。」という結びの連に表白された思いがどんなものだったのか、わかるような気がします。
作品の回想の中、長門峡をのぞむ料亭で、中也は一人、酒を酌んでいたといいます。ほかに客もなく、長門峡に、「魂あるものの如く」水は流れ流れて、「やがても蜜柑のごとき夕陽」があらわれたのです。この作品における回想のポイントは、ここでしょうか。さびしい冬の長門峡の景観の中にあって、詩人の精神は、そのときはゆたかに流れ流れて、夕日のかがやきを受けとめていたのでしょう。そのことを「そのような時もありき」とうたう中也の思いが、この詩の読みどころなのだと思います。年譜に拠れば15歳で飲酒、16歳ではすでに放蕩を知っていたとありますから、時期としてはそのあたりが、考えられそうです。
冬の長門峡
冬の詩、であることから、はじめに「この冬の長門峡」を読ませていただきました。不定期ですが、しばらく中原中也の作品をご紹介したいと思います。