三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
先週から室生犀星の『我が愛する詩人の伝記』高村光太郎の章に取り組みはじめましたが、昨日は第2回として、光太郎のアトリエ前を毎日歩いて鬱屈した思いを抱きつづける犀星が、思い切って正式に光太郎を訪問しよう、と思い立つくだりを読ませていただきました。
犀星が光太郎にライバル心と激しい羨望、さらにはそれゆえの嫉みを持っていたことは、今年5月に、当時犀星が住んでいた田端から駒込林町(現千駄木5丁目)の光太郎アトリエ跡地へ歩いたことをご報告した際にも、記しています。そのもととなったのが、『我が愛する詩人の伝記』の、今回朗読したくだりなのです。
今回、『我が愛する詩人の伝記』を朗読してお伝えしたいと考えている一番の目的は、「詩の朗読」という試みの中で、詩人室生犀星の、この文章の中にこそもっともよく立ち現われていると考えられる、その人となりをお知らせすることです。ただ、それがすべてではありません。もとより、私は犀星を専門に勉強したのではありませんし、文学作品を学究的に読む立場でもありません。それゆえ私自身が、犀星の詩作品から得がたい抒情を受けとって、その後、彼の周囲にあった萩原朔太郎や立原道造、またすでに述べた、複雑な思いを秘めた好敵手高村光太郎や、師事もしくは兄事した北原白秋など、多くの詩人たちとの心の共鳴を知ることから、詩、あるいは文学の本質というものの一端を知り得たこと、すなわち作品それ自体や年譜に書かれた事実だけでない詩人(作者)の周辺のもろもろから、文学の真実、そして人間の真実を知ることができるのだということを、共有したい、お知らせしたい、と、考えているのです。
そしていま一つは、わたしたち一人一人の人間が生きて行く上で、かならず多かれ少なかれ、また正の方向であれ負の方向であれ、他の人に影響を受けるということを確認するために、とても有り難い教材であるのが、この『我が愛する詩人の伝記』なのだということです。
近ごろしばしば、文学作品を論評する中で(おそらくWebの中においてのことと思いますし、ことは文学のみに限らないのでしょうが)、その作品だけを読んだに過ぎない、しかし断定的な論調を、目にすることがあります。それこそ、自分が書こうとする内容への、もしくは対象とする作品のタイトルそのものでも、キーワードとして検索すれば、さまざまな情報が瞬時に入手できるにちがいない、現今の状況下においてです。
白秋、朔太郎、光太郎、立原(道造)という、ここまでに挙げた詩人たちについてだけでも、『我が愛する詩人の伝記』には、同書の中でしか知りえない、詩人たちの姿が描かれています。そしてそこには、室生犀星という希有なる詩人の目を通して、同時代を生きた詩人たちの生の姿が、「他者の目」、それもきわめてユニークな視点から、書かれています。
こうした多方面からの、「対象(となる文学者)への視点」を、国語や文学を学ぶ方々に、私のできる手法でお示ししたい。それが現時点の目標であることをお伝えしまして、第2回のご報告とさせていただきます。
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
文京区の総合学習塾・言問学舎HP
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