小説『遠つ世の声』を刊行(電子書籍/Kindle)しました!
本コラムの連載を始めてから、毎年10月には、灰田有紀彦先生、灰田勝彦先生ご兄弟と、『鈴懸の径』(有紀彦先生のご作曲)のことなどを、文章で綴ってまいりました。明日、10月16日が、有紀彦先生のご命日に当たります。亡くなられたのが昭和61年(1986年)のことですから、今年で29年になります。
あとでご紹介させていただくYouTubeの投稿の中でもご紹介しておりますが、『鈴懸の径』は世界的にもよく知られた曲です。勝彦先生が亡くなられた直後の昭和58 年(1983年)2月に発行された『灰田有紀彦/勝彦 鈴懸の径』(早津敏彦著 サンクリエイト刊)から、引用させていただきます。
鈴懸の径
英題「アワ・ラスト・サンライズ」。灰田兄弟の代表作として余りにも有名だが、一方、スリー・サンズ、ビリー・ヴォーン楽団、ハーブ・太田(その英題、スシ=寿司はいただけないが)、オスカー・ピータスンの録音、そして、こちらでは鈴木章治の代表ナンバーとなって、数少ないグローバルな日本の曲になっている。
現在のわが国でも、「鈴木章治とリズム・エース」の曲としてご存じの方は、多くいらっしゃると思います。
そして灰田ご兄弟、とりわけ有紀彦先生は、「日本のハワイアンの父」として知られ、私が持っているウクレレの教本でも、わが国におけるハワイアンの源流には有紀彦先生がいらっしゃるのだということが、如実に示されております。
ちなみに日本で初めてスチール・ギターを演奏されたのが、有紀彦先生であり、ハワイアンのファルセットを初めて披露なさったのが、勝彦先生です。「その昔、裏声で、野郎がレイーと女のような声を出して歌うと、それが客にはくすぐったいのだろう。客の方が照れて下を向く、そんな純情の時代だった。」と勝彦先生が述懐されたことが、前掲書に書かれています。
わたくしは、現在言問学舎の室内での簡素な撮影ではありますが、先日『森の小径』を歌わせていただくなど、昭和前期の流行歌を継承する立場に、身を置く者です。灰田有紀彦先生のご命日は明日16日ですが、昨日、『鈴懸の径』を歌わせていただき、投稿致しました。
ここにご紹介させていただき、これをもって、今年有紀彦先生に捧げる記事とさせていただきます。
平成27年(2015年)10月15日
小田原漂情