小説『遠つ世の声』を刊行(電子書籍/Kindle)しました!
一昨年までは、言問学舎の塾長ブログにのみ記していた8月6日の所感ですが、諸般の事情に鑑み、「引用」の形で、敬体ではなく常体のまま、掲載させていただきます。日頃の文面にくらべて固く、失礼のある点はおゆるし下さい。
被爆後70年の8月6日に
昨年の8月6日は、大粒の雨の中で広島の平和(記念)式典が実行された。今年は一転して、朝から非常に暑い晴天の日の実施となったが、参列席すべてを覆う日よけが目を引いた。列席者の健康に配慮して、とのことだったが、その背景には昨年の雨に加え、今年初めて、被爆された方々の平均年齢が80歳を超えたことがあるのだろう。
広島で原爆によって亡くなった人の数(原爆死没者名簿におさめられた人の数)が29万7684人になったことも、あわせて伝えられている。近年ずっと、「この一年間に亡くなった方の数」が5000人以上であることから考えると、来年はこの数字が、30万人に及ぶものと考えられる。
数字や言葉の遊びをするつもりは毛頭ない。昭和20年(1945年)8月当時、広島市の人口は約40万人であったと伝えられている。70年という時を経れば、「そのうちの4分の3」などという単純な計算が成り立たないことは、誰にでもわかる。市外から救助のために入って来て亡くなった方も多い。しかしそれでも、かつて中沢啓治氏が『はだしのゲン』で書かれた通り、どれだけ年月が経とうと、直接身を焼かれ、あるいは原因不明の異状で健康を蝕まれ、命を奪われた人の数が、昭和20年(1945年)の日本における人口40万人の広島市の、3分の2以上に上るのだということは、明白であろう。
そして、被爆された方々の平均年齢が、80歳を超えたという事実。私とて伝え聞く立場であるが、仮想的な印象が現実の世界を危うくする一方である昨今を思う時、これまでにも増して、一年一年、過去の苦しみを薄れさせず、伝えて行く、手渡して行くことの重要さを、そして自分が何を為すべきかということを、深く噛みしめる次第である。
自分にできることを、一つずつ積み上げること。そのことだけを、今日のこの日は記しておきたい。
平成27年8月6日
小田原漂情