決してあきらめずに
週のはじめにYouTubeに投稿している「詩の朗読」で、先月初めから高村光太郎の『智恵子抄』の作品をご紹介しており、今週月曜日には「報告(智恵子に)」を発表した旨を、お知らせ致しました。そして昨日、6月30日火曜日には、「人に(いやなんです)」をつづけて発表致しました。
「報告」のアップをWeb上の記事でお知らせした際、「次回からは光太郎と智恵子の初期の相聞の作をご紹介します」と申し上げましたが、この作品は、その中でももっとも直截的に、光太郎が郷里での縁談に関して自らの思いを吐露した作品として知られています。
この作品からはじまったと思われる、「人」(智恵子を指します)に対して率直に呼びかける「〇〇です」という語りかけの口調について、それが詩人のやさしすぎる口調というように、感じる人もいるようです。またそのために、高村光太郎という詩人・彫刻家の人となりを、あやまって受けとることも、ないとは言えないでしょう。
そのあたりの事情に対して申すべきことを、一篇ごとの詩作品に対する添え書きで、すべて伝えることはできません。しかし、「猛獣篇」という詩群を著し、自らの身中に宿る獣性を智恵子によって清められたと独白する詩人高村光太郎の肖像を過不足なく伝えるために、こうして光太郎の詩を朗読し、わたくしが受けとめている解釈のあり方をご紹介することは、高村光太郎の詩によって青春期のしるべを手にした立場の者が、微小なりともお返しすべき、詩人の魂への報恩なのだと考えます。