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10月26日。昭和57年(1982年)のこの日に灰田勝彦先生が世を去られてから、32年間、ずっとこの一日を特別な思いで過ごしておりました。そして7年前からは、毎年お墓参りをさせていただくようになり、今日はしばらく記憶にない日曜日で、妻と二人でお伺いして来ました。
昭和57年当時、私は19歳の若者でした。それから32年。何と長い時間が経過したのか、と思うとともに、これまでまっとうに生きて来られたことの感謝の思いを、あらためて幾重にも、灰田先生にお伝えした次第です。
30年前の10月26日、私は大学4年生でしたが、立教大学の「鈴懸の径」の碑にはじめてお参りし、ウィスキーのポケット瓶を持参して、少し自分で飲み、それを碑の前にささげて来ました。
そして今日はめずらしい日曜日だったので、小さなコップとウィスキーを持参。「酒でのど焼けした」(お兄さまの有紀彦先生談)ほどお酒が好きだった先生に、30年ぶりにお酒を献じました。もちろん30年ぶりに、酌み交わさせていただいて。お喜びいただけたでしょうか。
もう一つ、今日は特筆すべき日でした。灰田先生は無類の野球好きで、「歌手にならなければプロ野球選手になっていた」と、ご生前常々語られていましたが、亡くなられた32年前は、病室で、午後の日本シリーズのプレイボールを心待ちにしておられたそうです。その日本シリーズが昨日開幕、そして東京六大学野球では、立教大学が30季(15年)ぶりの優勝をかけて、明治大学と対戦したのです(立教が勝てば優勝)。
私は明治の出身で、現監督は文学部の同級生。さらに明治にも優勝の可能性が残っていて、つい先日同窓会で再開した級友たちも応援に行っていますから、単純に「勝て勝て立教」と考えるわけにもいきません。もちろん立教の15年ぶりの優勝を、どんなに灰田先生が望んでおられるか、と思うと、正直なところ、「どちらも勝たせたい」と思わずにはいられませんでした。
すると、何としたことでしょう。今日の試合は、2-2で12回まで延長戦となった末、引き分けになったのです。私には、灰田先生のお導きとしか思えません。そして先生のお声が、聞こえて来るようです。「今日はいい試合だった。最後に勝つのは、立教だがね。」
忘れられない、10月26日でありました。
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
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