研鑽と進化を
言問学舎ホームページを立ち上げた年(2010年)からですから、今年で丸4年、5回目になりますが、故灰田有紀彦先生のことを、書かせていただきたいと思います。今日が亡くなられて満28年のご命日にあたります。
有紀彦(当初は晴彦)先生は、故灰田勝彦先生のお兄様です。ハワイのご出身で、日本にスチールギターやハワイアンそのものを輸入された、日本のハワイアンの父です。私が持っているウクレレの教本の著者の方も、有紀彦先生に師事されたとのことです。
ご兄弟のお父様はお医者様をなさっており、ホノルルで医療に従事され、ハワイの日系人社会では大きな存在であったと聞きます。そのお父様が亡くなられ、ご葬儀のために日本に帰って来られて、帰りの船を待っている横浜で、関東大震災に遭われました。さらに船待ちをしている時に、荷物を盗まれてしまったため、ハワイへ戻ることができなくなり、日本にとどまって、ご兄弟は日本で成長されることとなりました。
そして有紀彦先生は長じて「モアナ・グリークラブ」というハワイアン・バンドを結成され、活躍されました(この頃は「晴彦」と名乗っておられたわけです)。さらに、弟の勝彦先生に白羽の矢が立ち、高音を生かしてモアナ・グリークラブで歌うようになったのが、「歌手・灰田勝彦」の船出でした(本名稔勝=としかつで、古いファンの方々はトシ坊トシ坊と呼ばれていたのを、記憶されていました)。
10月、秋の風が冷たくなると、私は有紀彦先生の作曲で勝彦先生が歌われた『鈴懸の径』の旋律につつまれます。今日は雨の予報でしたが、有紀彦先生のご命日であるためか、秋らしいさわやかな陽気となりました。
先人の残して下さったものを伝えること、それは物書きの仕事であると同時に、教育にも通じるものだと思えてならない、この頃であります。今日は有紀彦先生を偲んで、より良い教育、未来のことを考える夜にしたいと思います。
※アップより数時間の間、冒頭の段落の数字の表記に誤りがありました。訂正の上、深くお詫び申し上げます。現在記載してある、「満28年」が正確な数字です。
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
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