言問学舎の冬期講習2024‐25 中3生期末躍進、社会連続100点達成
前回のコラムで、ことばの感覚が、「ゴツゴツ」してしまっていたということを述べました。
この「ゴツゴツ」というのは、ちょっと説明しにくい感覚です。別段、ことば同士がうまくつながっていないとか、リズムが出ないというのではないのです。
ただどうしても、短歌を書く詠み手として、十分にこなれたことばの運びにならないということを、「ゴツゴツ」というオノマトペで感じていたのです。
「父」がらみのコラムであることをお断りして、続けさせていただきます。1997年9月30日以前に東京~長野間(あるいは相互以遠)を往来された経験のある方は、旧信越本線の「横軽=碓氷峠越え」をご記憶のことでしょう。
私はこの横軽=碓氷峠越えをモチーフに、小説を二篇(いずれも短いものですが)、書いております。3年前に発表した『鉄の軋み』という短編は、峠越えをテーマとした『ノスタルジックトレイン』第三号に掲載されているのですが、その号の中で二本の秀逸な記事が、碓氷峠越えの際の乗り心地が「空気バネをパンクさせて、独特のゴツゴツした乗り心地」であったことを、明かしてくれております。
前回、「ゴツゴツした」感覚を少し説明するのに、このことを書きたくてたまらなかったのですが、あまりに長くなるため、回を分けさせていただいた次第です。短歌の中で言葉の「ゴツゴツ」感がとれた感覚は、軽井沢から信濃平に向かって駆け出す時、あるいは横川から関東平野へ向かうための下りにかかる時、軽やかな足取りに転じた189系「あさま」号の感覚と、相通ずるものでありました。
『鉄の軋み』執筆の渦中、何案かタイトルを考えていて、中に『父の峠』というプランがあることを、私は父に話していました。それを告げた時は何も言わなかったのですが、あとで最終決定を『鉄の軋み』にすると、父は少しさびしそうでした。同作を個人単位の刊行物に含める際には、お蔵入りとしてしまった『父の峠』を副題として添えたいと思う、この日ごろです。
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
文京区の総合学習塾・言問学舎