離婚事件簿その11~未成年子との面会交流調停(後編)
破綻した別居中の夫婦(または離婚した元夫婦)の間に子供がいて、どちらかの親のもとで養育監護されているとき、養育監護していない、子供と離れて暮らしている方の親(非監護親)から、子供に会わせてほしいといわれることがある。
この際に、子供に「会わせてくれ」「会わせたくない」と揉めてしまい、夫婦間で争いになることがある。
これが未成年子との面会交流の問題である。
面会交流は、非監護親と子供との「面会」(一緒にどこかに遊びに行く、食事をするなど)が中心であるが、手紙や写真のやり取り、電話で話す、授業参観や運動会などを見学する、誕生日やクリスマスのプレゼントを贈る、など、面会ができない場合でも、それ以外の方法で親子が「交流」できないかどうかについても検討される。
「面会交流」とは、「面会して子供と交流すること」ではなく、「子との面会『及びその他の交流』」(民法766条1項)だからだ。
子供がある程度、だいたい中学生くらいまで大きくなっていれば、この問題はあまり起きない。
このくらいの年齢になれば、監護親(手元で養育監護をしている方の親)の意思がどうであれ、子供が会いたいと思えば、監護親の反対を押し切ってでも、あるいは、監護親の目を盗んででも、自らの意思で非監護親に会いに行くことが可能なケースが多いからだ。
また、子供の面会交流のことについて、両親の間で「大人の関係」が築けている場合も、この問題は表面化しない。
例えば、監護親としては本音ではあまり会わせたくないのだが、子供がどうしても会いたいというのなら会わせてもいいか、と考え、また、会いたいと求める非監護親の方も、監護親の精神的負担にならない程度の面会にとどめることができる、というような関係が築けていれば、面会交流それ自体の問題が家庭裁判所・弁護士マターになることはほとんどない。
問題が多いのは、非監護親が子供への面会を求めているが、監護親と非監護親との間で精神的な葛藤(いがみ合い)が根深く残っていて、しかも、子供が幼い、概ね小学生以下の子供の場合である。
破綻した夫婦間では、程度の差こそあれ、精神的な葛藤があるものだが、これが強い場合、「相手のことが憎くてたまらない」「腹が立つ」「消えていなくなってほしい」「大事な我が子を会わせてなるものか、会わせるくらいなら住民票を置いたまま引っ越して行方不明になりたい」「会わせるくらいなら養育費なんて要らない」、といった勢いで、監護親は、断固として、面会交流の申出を拒否する。
拒否された方も負けてはおらず、強引に家に押しかけたり、電話やメールをガンガン送って面会交流を求めたり、子供の学校帰りに待ち伏せしたり、ひどい場合には、子供を連れ去ったりするなどして、さらに事件がぐちゃぐちゃになる。
紛争の当事者である監護親・非監護親はもちろん、板挟みになった子供の心までもひどく傷ついていく。
このように、子供の意思(非監護親に会いたいと思っているのか)、子供にとって非監護親に面会をさせることの教育上の効果など、肝心の子供のことが双方の親の頭の中で冷静に検討されることなく置き去りにされ、当事者間の強い葛藤、いがみ合いの感情ばかりで、面会交流ができるかどうかが大きく左右されてしまうと、泥沼の争いになるのだ。
「そもそも面会交流を認めるのか」「認めるとしたら、どのような頻度で、どのような方法で、どれくらいの時間会わせるのか」など、通常ではおよそ問題とならない細かい事項についてまで揉めに揉め、当事者双方はもちろん、調停委員、家庭裁判所調査官、裁判官の心を疲弊させることになるのである。(中編へつづく)
弁護士 松尾善紀
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