許すことが平和主義じゃないってこと

石田宙子

石田宙子

テーマ:マナー講師 石田宙子の苦悩

許すことが平和主義でないってこと

最近では 以前のような 小うるさい人 がいなくなったような気がします

平和主義

と言われる人が増えたこと

でもこの平和主義 って 本当に平和なのでしょうか?

以前 教室のある集まりで 「遅れる」と連絡がきたことがあります

実際 スタートが10分ほど遅れ その生徒さんは 集まりには 「遅刻」 にはならなかったのですが

周りの生徒さんからは 「大丈夫 大丈夫」 の声が
遅れた方も 「良かった~」 の声が

通常の稽古の集まりではない この待ち合わせの遅刻に ただ 大丈夫で済ませていいのだろうか

と疑問がわきます

確かに 「今」の状況は 結果オーライですが いざと言うときに この小手先の判断で良いのだろうか

誰か 「今回はたまたま結果オーライだったけど 遅刻して 良かったで終わらない方が良いよ」 と、いう人がいないことの 寂しさ

こんな当たり前のことを 今は「小言を言う人」と 私が表現するのも 寂しい

この 「今」をやり過ごすことで終わってしまうから 次につながらないのではないか

後日 このことを伝え 理解していても 次に同じようなことがあったとき この「小言」は 伝えられるだろうか

わたくしは 「平和主義」 とは 継続的に皆さんが平和にお付き合いできるように 「今 なにができるか」を選択できるようになってほしい 
常に偶然の何かが起こらないと 遅刻のような事件が 解決できなくなる ではなく 根本を見直し 教えあい 助け合うお付き合いが 「平和主義」ではないのでしょうか?

皆さんの周りでも 起こっていませんか?

今、自分が小言を言うことで 自分が反対の立場になったとき の保険で 小手先で許す平和主義に手を出してしまうこと

目の前の楽(敵を作らないための布石)は誰のためにもならなく まして 自分の為にもならない

楽 を求めることでは 本来 根本的に問題は解決しない

今は 遅刻 というかわいい内容ではありますが これが仕事となるとどうでしょう?
商談に “つい” 遅刻する日常が出てしまう 
“いいよ いいよ” の社内の癖にが慣れてしまったら、個人の問題ですらなくなり 会社としても信頼されなくなる
本来 平和主義な人は 本当の意味で厳しい一言を言える人ではないでしょうか?
それが 注意しあえる人が減り 平和になれる ことを大事にできる平和主義の人ではないでしょうか?
振る舞い マナー しきたりなどを教えているからこそ 目には見えない部分も しっかり伝えていきたいと感じました

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石田宙子
専門家

石田宙子(マナー講師)

北浜サロン

和の立ち居振る舞いから、国際社会で通用するプロトコールまで、大人の日本人として美しい所作と心のゆとりを身に着けるための稽古を基本から丁寧に、少人数制で行います。

石田宙子プロは朝日新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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