後ろめたさ
今日のコラムは、私自身の人生を決定させるボーダーラインになっている事なので、心を込めて書きたいと思います。
と、言うのは、私は自分自身、これまでの人生で、色んな経験をしてきました。
それは昭和という時代の特性もあるのですが、ジェットコースターのようなアップダウンの急こう配があったにも関わらず、
今も元気に、張り切って生きているという事です。
子供の頃は、高度成長時代で、父親の事業は上り調子で、暮らしはとても裕福でした。
しかし、父親が事業に失敗して、借金取りに追われ家を出る事になり、子供心に「あ、これが夜逃げというものか」と
思った事を覚えています。
でも、夜逃げとは言え、家族で、行った事のない土地の旅館(それくらいのお金は父は持っていたようです)に家族で泊まり、
朝方に障子という越しに雪が降るのを眺め、それが雪見障子という言葉を知ったきっかけでした。
そんな夜逃げでさえ、家族全部で過ごせるのは、子供心に楽しく感じ、それを不幸中の幸いと呼ぶかは、気づいておらず、どこか、物事を楽観的捉える私でした。
その後母親は父と離婚をし、子供三人を母子家庭で育ててくれました。
お小遣いは無くても、バイトをすればお金が貰えると知り、中学生の頃からバイトをしました。
そして欲しい物は、それで手に入れるという事を知り、働く事は当たり前と思っていました。
【足りなければ自分で稼ぐ】
しかし、その私の力強さは、そういう生きる力を備えてない元夫との結婚は上手く行きませんでした。
相手を下に見る事はありませんでしたが、元夫からすれば、そのパワフルな私は、嫌味に見えたでしょうし、
何よりも、私を頼るようになりましたので、男性から養ってもらいたいという私の願いとは交差します。
そんなこんなで、結婚生活は失敗に終わりましたが、そこでも私は、大事な息子達を授けてくれた元夫には
そういう意味では、感謝の気持ちがあり、離婚をしても子供達を連れての離婚も幸せでした。
また、私の母も貧しくても、どこか漂々としていたのは、私達という兄妹3人と一緒に居られたことに幸せを感じてくれていたのだと思うし、実際母親の口からよく聞いたのは、夜逃げや借金取りに追われる生活がないだけマシ、とよく言っていました。
そんな事で、私も、私の母も、不幸中の幸いとは言いませんが、不幸を知っていたから、「今が幸せ」と感じる事が出来た性格のお陰で、悲観的な事を思わずに生きて来れました。
ま、実際は、母や食べ盛りの子供3人を連れ、病気になったりして、苦労はしたとは思いますが、私達にはそれを感じさせることなく、親子4人で生活していました。
つまり、私も私の母も、世間からしたら、大変な苦労をしたという事かもしれませんが、あまりそういう自覚はありません。
そして、今現在、私は自分の人生を見返して、どんな人生だったかと振り返ると、
「ありがたいなあ」と言う言葉に尽きます。
そして私は幸せかどうか、自分の物差しで言うと私はやはり幸せだと思うのです。
私は、夫婦の悩み事を聞くという相談業をしています。
その中で、色んな話をお聞きして、色んな他人の人生を感じます。
そこで、私がいつも感じるのは、人から見れば幸せな人生なのに、その人自身が、不幸病に掛かっていると思う事がよくあります。
私の子供の頃から人生と比べても、ずっと恵まれているにの、その人はもっと多くの物を手にしているのに、その人がわざわざ不幸の中に自分を置かれているのです。
【足るを知らないと、いつまでも足りない】
そうした事を、これまでの私は「足るを知らない」と言う言葉で捉えていましたが、相談者の方に足るを知らないと言っても元々、砂漠に水を落としても、すぐ乾くように、その人は水を有難いと考えない人は、何を与えても満足しないので、
私の「足るを知る理論」は通用しないのだと思いました。
「この人、殆どが幸せなのに、何故、それに気づかないのかなあ」と、それが私の悩みでもありました。
いくら満たされている部分が多いと言っても満たされてない少しの方ばかりを見つめて不幸を探している風に見えるのです。
人間100%問題がない人なんていません。
90%幸せでも、10%の不幸にばかり、目が行ってしまってる人が、如何に多いか・・・・・
でも、その当人にすれば、%の割合ではなく、自分の欲しい物の種類が10%の中にあれば、それはその人には
不幸が100%に感じてしまうので、数の割合ではないのだという事です。
しかし、そう言う人は、私のこれまでの経験で言うと、突然不機嫌になるのです。
そして、周りに対して、突然牙をむくののです。
特に、自分の夫に牙をむく妻が、そういう幸せに気づかない人が多い理由は何かと考えたのです。
何か突然、不機嫌になられた方にすれば、何で、キレられているか、分からないのです。
そのキレるスイッチが何なのか、それが分からなかったのです。
【外部病という他罰の考え方】
でも、そのキレる傾向を見ていると、そういう相談者や、妻の場合は、「外部病」なのです。
つまり自分に起きている不幸な出来事は全部外部が原因だと思う考え方です。
だから、周りに当たり散らすのです。
そして、当り散らかされた方は、その理由は、いくら聞いても分からないのです。
何故なら、それは、そうした自分に起きている不幸は、外部のせいと考える勝手な理屈によるので、その理由はピントこないのです。
【私のせいではなく、私の出来事】
病気になるのも、貧乏になるのも、やり切れない物があり、周りを羨ましくなる事もあります。
でも、それは、外部からの攻撃ではなく、自分に起きた試練なのです。
言い換えれば、自分に起きている問題は、全部周りのせいと考えると、いつまでも物事を自分の事として受け入れられなくなります。
そうした事を、どう説明したり解釈したら相談者も理解できるかな、と悩んでいました。
そんな中、今日、とてもぴったり定義に出会いました。
ちょっと、冒頭に書いた私の幼少期からの体験と考え方に象徴されるなア、と感じました。
つまり、私がまあまあ、人と比べると、ハードな体験(ここに書けることはまだマシで、本当は書けない事がもっとあります)をしましたが、それを大袈裟に捉えていない理由。そして、私自身を別に不幸と思った事が一度もない事。
そのせいか、私は、自分を幸せと感じて生きて来ました。
比較的裕福で、安定して、満たされた相談者が、とても悩む事で、人生がストップさせてしまっている事を、私が「足るを知ろう」と言っても、通じなかった理由。
そういう相談者が、ある意味、人よりも恵まれている事を分かずに、決して幸せと感じてない理由。
それが、人を幸せか、不幸か、を決めるのは、自分次第。
その決定的な境界線が何か、ようやくわかりました。
前置きが長くなりました。
その境界線は・・・・・・
「自分を受け入れているか、どうか」です。
【自分を受け入れる事が、幸せにな境界線】
つまり、どんな問題があっても、自分の事として、自分を受け入れているか、どうかと言う事です。
私が子供心に、一家離散のような事になった時も、周りや、外に責任を求めなかったのです。
全部、自分の身の上に起きている出来事だと自分事として、受け容れていたのです。
だから、何があっても、自分の事だから、自分が雪かきの車のように自分の出来る事をしようと、捉えたのです。
そして、やるだけの事と、出来るだけの事をして、それでも、力が及ばなかったら、もうそれは運命です。
目指す高校に落ちた時も、周りをうらやみません。だって、私が不勉強だったからです。
夫側の浮気だって、そうです。
私は、妻として、出来る限りをことをしたかと問われると、相手からしたら、そうじゃなかったかもしれません。
でも、自分なりには、出来る限りの事をやりました。
それでも、ダメだったのだから、もう私には不可抗力のような物です。
そんな風に、わりと諦めも良かったので、自分の境遇を不幸と思うより、納得がいったという方が近いかな。
だから自分を不幸と思う暇はなく、それよりも、これが自分の運命だと受け入れたのです。
そういう意味で、今の私は、仕事の面では100%努力しているかと問われたら、そうではありません。
それが私の横着な部分です。
そして、それが私なのです。
ね、全部、自分の周りで起きている事は自分の事として受け入れていると、あまり苦しくありません。
しかし、その反対で、人を恨み、人に腹を立て、問題は自分の外の人間が起こしている事だと考えた途端にその人は自分を不幸と言っているのと同じになるのです。
【幸せか不幸かの境目】
これでもうお分かり頂けたのではないでしょうか?
自分の人生を、幸せな物にするか、不幸にするかは、自分を受け入れるかどうか、なのです。
外部病から卒業すれば、ずっとあなたは幸せになれるはずです。
では、今日はここまで。