後ろめたさ
昨今、いろんな謝罪の会見が行われています。
政治家,企業、教育現場、芸能人の不倫
最近では、木下議員の辞職会見を見ていて、これって、本当に謝っているの?と頭をかしげたくなります。
つまり謝罪言葉は口にするものの、その後は恨み節のような事であったり、記者の質問には何度もため息をついたり、
挙句は同席した弁護士に小声で、先生、先生と会見を早く打ち切ってくれとばかりの耳打ちのような懇願。
これでは、誰に謝っているかというより、とりあえず、これで謝ったからね、と言うノルマをこなしただけの感じです。
ま、確かに大勢のカメラの前で自分のミスを詫びる事に慣れた人なんていないから正解ってしらないのかもしれませんが
だからこそ、正解ではなく、こころから謝罪しているという気持ちを伝える事が第一だと思うのです。
そういう意味で、謝罪が上手下手ではなく、その人の気持ちが見て取れる事が大事です。
特に夫婦の間で話し合いをする時は、一対一なのでどうしても正しい者と間違っている者という退治になります。
また、よくある夫の浮気に対しての話し合いは、妻はどうしても責めるような立ち位置になり、夫に浮気を認めさせたいと必死になります。
何なら、妻の目的は夫に浮気を認めさせるだけではなく、謝罪させる事までがセットのようになります。
その為、焦りが伴い、口調も強くなり謝らせる事が目標になってしまいます。
そうなると夫の方も謝る事でその場を乗り切れるならばとばかり、とにかく謝っておこうということになります。
謝らせたい妻、謝る事でこの場を脱出できるならばと謝る夫。
そうです、ある意味、ここでは夫婦の共同作業が成立してしまうのです。
すいません、と言う言葉は、もうそれ以上言わないで、と言う言葉。
気弱な夫にすれば、それ以上責められたくないという気持ちもあるでしょう。
しかし、逆にその浮気を止められない夫の場合も、それ以上追及されたくないと思うと、やっぱり謝るのです。
浮気を止める人も、謝らない人も、両方の人が謝るのです。
どちらも、謝っているとしたら、その真意はどうやったら分かるのでしょうか?
それは、あいまいな基準ですが、全体的な雰囲気です。
そしてその謝罪した直後は、もう謝っているから、それ以上、何も言わないでと言うオーラを出しているので
妻の方は、すいません、の言葉の前には何も言えなくなるのです。
つまり、夫のすいませんは、ある意味、妻には黙れ、というのと同意語の場合もあります。
その違いは その後の夫の態度でしか、本気の謝罪か、その場逃れの謝罪かは、見えて来るでしょう。
妻に謝る事で、夫婦が前に進めるなら、それは前向きな謝罪です。
でも謝った後も、日が経っても夫の言動が刺々しいとか、事あるごとに、夫の言葉が妻に対して、思いやりを感じないという事なら
その謝罪は偽物だという事が分かります。
つまり謝罪の真偽はある程度時間が掛かるという事です。
すいませんの意味に含まれる意味は その後の夫の生活が物語ってくれます。
謝った後も妻を遠ざけ、妻との会話が無くて、相変わらず心、ここに非ずという事が見て取れるなら
それはやはり、その場を脱出するだけの謝罪でしかないという事が分かってきます。
と、いう事で謝罪は、心からのものと、相手を黙らせる事への効果もあるのです。
では今日はここまで。