後ろめたさ
♪妻は夫を労わりつゥ~~~夫は妻に慕いつつゥ~♪
これは浪曲 壺坂情話の一節です。
今と違って、音楽はデジタルで、移り変わりは早くなくって、明治大正昭和と日本の音楽は一曲で長い間、人から歌われたものです。
だから、私も子供の頃の歌謡曲って、ひとつヒットすれば長く人に歌い継がれたものです。
その結果、浪曲の歌い手師はいなくても幼稚園児の私でも、昔の浪曲は意味も分からず歌っていました。
夫婦はこうした形が理想的だという事は、幼い私にも刷り込まれ、そして大人になりました。
女性は男性を尊敬し、ましてや夫婦になると、夫を立てて、感謝する事は大切だと、それは今でも思います。
でも現実には、そんな美談ばかりではありません。
時には夫や、男性のする行いには。理解が出来ない事も多く、妻としてというより、人として頭をかしげたくなることにも沢山出会います。
時には、人生において、夫を軽蔑する事も起きたりします。
今日はそんな時の事を、お話していきたいと思います。
私の仕事上の相談では、夫の浮気問題が殆どです。
この浮気が、出会い頭の事故のような事であれば「長い人生、そんなこともあるよ」と失敗談として通り過ごすこともあります。
でも、私がいつも思うのは、「程度もん」と言う言葉です。
物には程度と言うことがあり、同じ悪い事をしても程度によって悪質さが違ってきます。
例えは、ちょっと、人が落とした小銭をネコババするのと、会社のお金を長年に渡りくすねるのとは、その悪質さは違います。でも罪という分類で言うと、泥棒や窃盗、横領も、全部人の物を盗むという点においては同じです。
しかし、その金額は小銭の500円と、長年に渡っての3000万円を横領するのとは、罪の度合いは違います。
と、いう事で、飲みに行って、同僚の可愛い女子社員と、一夜の過ちを犯してしまったという事と、長年に渡り浮気をしているというのは同じ浮気でも、罪の深さは違うのです。
それなのに、友人という素人カウンセラー?に相談すると、「男は浮気ぐらいする生き物よ」と、暫く様子を見よとアドバイスされます。
いやいやいや・・・同じ浮気でも、罪の度合いが違います。
つい、魔がさしての出来心と、長年妻を裏切って来た罪とは、浮気とは言え、同じではないのです。
では、この裏切りという浮気をされた場合、妻はどうやって立ち直ればいいのでしょうか?
よく言われるのに、夫婦はどちらか一方だけが悪いのではないと言います。
確かに、そうです。
私だってご相談を受けて、妻側からの一方的な話だけじゃなく、夫側からも聞きたいなアと思う事はあります。
でも、浮気に関しては、夫側の意見を聞かなくても、今やほぼ分かるのです。
確かに、浮気をするに至る原因は、妻にもないとは言えません。
しかし、それが罪の度合いと言いますか、妻の欠点の度合いと、夫が浮気を継続している罪の度合いは、やはり違うと思います。
人間は、間違いを起こす生き物です。
人生には失敗も付き物です。
でも、妻を裏切ってもいいという理屈はないのです。
そういう意味では、長きに渡って、不倫を続けている夫というのは、妻を欺いて来た期間は、どう考えても妻の短所とは比べ物にならないでしょう。
そこで、今日のテーマです。
長きに渡り、夫の裏切りにあってきた妻は、その夫の愚かさも知る事になります。
そうして、人生を踏み外すかもしれないというような浮気をする夫を、家庭の為、子供の為にと許したとしても、それは罪を許したのではないのです。
どちらかと言うと妻は、家庭の存続の為に、我慢をしたに過ぎないのです。
そうなると、これから、夫を尊敬して暮らして行けるか、という疑問が湧きます。
一度見損なってしまった夫が、また光り輝いて見えるようにはならないのです。
浮気をしちゃった罪は事件として処理できても、そんな長い間、妻を裏切り続けた夫は「人としてどうよ」という事で
人格を疑ってしまうのです。
よく言う、罪を憎んで人を憎まず、と言いますが、これこそが程度もんです。
本当に、お金も使い、家庭を顧みず、妻を裏切ってきた夫は、人として失格です。
でも、そんな夫とでも離婚する訳にはいかないと、言って再出発を妻が願う場合によく受ける質問です。
「これからどうやって、夫の事を信じてたやって行けばいいのでしょうか?」と問われます。
ここが無理しちゃっていると私は思います
もう、夫のメッキが剥がれちゃったのですから、これまでと同じように、という事を望むのが無理なのです。
信じてやってきたというけれど、もしかしたら、普通の人は、もっと早くに「信じられない」と気づいたはずなのです。
それなのに、それに長年気づかずにやってきたのは、ある種自分でも、何かに蓋をしてきていただけなのです。
だから、夫を信じてやってきたというのは、気が付かなかっただけなのです。
夫を信じて、夫を尊敬して・・・・というのは美しい夫婦像です。
でも、本当の夫はそうではなかったという事に気が付けば、信じていた時間が、実はまぼろしだったのかもしれません。
さあ、等身大の夫の姿を知ったのです。
これまで、貴女が信じて、見て来た夫は、演じていた夫像だったのです。
そしてそれを夫を尊敬して生きてきた妻は、美談ではありますが、本当の夫の姿を見てこなかったという事も言えるのです。
では、これが、不幸かというとそうではありません。
人を信じて生きるという事は、どれほど幸せな事か。
だから、その幸せだった過去までを否定する必要はないのです。
絶対に信じていた時間は幸せだったのですから、それまでを不幸で上書きする必要はありません。
ただ、貴女が信じて尊敬して来た夫と、実際の夫とは違ったのですから、ここをいつまでも嘆いている暇はありません。
もう両目をかっぽじて、夫をよく見ましょう。
そんなに素敵な男性じゃないはずです。
言葉でいくらうまい事を言っても、貴女の夫は、不言実行ではなく、有言不実行で貴女を騙してきたのですから、
昔、言っていた言葉なんて口先だけだったと思うと、もう別に信頼する必要なんてないとは言いませんが
きっと信頼なんて出来ないはずです。
その意味で、妻は夫を労わりつ~~、夫は妻に(ここが「を」じゃないのですが・・・)慕いつつ~~
そのくらいでいいじゃないですか。
だって夫を嫌いになれないから、離婚できない訳ですから、信じるとか信頼するという所までハードルを上げる必要はないのです。
そうして時間が経てば、等身大の夫に対して、自分はどう接するか、自ずと答えは出ます。
夫の裏切りに遭い、傷ついて、どうしようもない奥様方。
別に信じる事が一番じゃないですよ。
それこそ、昔の将棋刺しの、坂田三吉なんて、お酒も飲んで、女房も泣かす、甲斐性なしでした。
それでも女房は、夫と暮らせたのは、どこか憎めないことろがあったのでしょう。
今の貴女だって、同じです。夫の裏切りは死ぬほど辛いのに、別れられないのは、どこかイイところがご主人もあるからではないですか?
それで夫の短所の方が、我慢ならないというなら、離婚するしかないのですが、そんな夫でも離婚をしたくないと望むのは、妻の貴女なのですから、 これからは夫の短所を付き合っていくしかありません。
どんなに、耳障りのいいカウンセリングを受けても、こうした現実をお話しないと、貴女の目も覚めません。
浮気もするひどい夫。
その現実を受け止めるのは、心が張り裂けそうかもしれませんが、残念ながら これが現実ですし、これが貴女と結婚した夫なのです。
この傷は、やはり時間が解決してくれるでしょう。
今は夫の裏切りを知って傷ついているでしょうけれど、傷は時間が経てば癒えます。
それを「日にち薬」と呼びます。
だったら、カウンセラーなんて、要らないじゃん、と言っているそこの貴女。
そんな憎まれ口をきかず、時には 私の浪花節を聞きませんか?
こうした現実のお話を、今後、動画ででも、お届けしていきたいと思います。
乞うご期待。
では、今日はここまで。