浮気終結と夫婦修復は別作業
色々な問題が起きた時、その問題を乗り越える強さが欲しいと、相談者は言われます。
この村越は結婚している時も、元夫が生活費を入れてくれないという事に苦しんだ結果、「宛てにしない」という覚悟が身に付きました。
その結果、喫茶店からお好み焼き屋さんと、生活費を稼ぐ為に、強くなって行きました。
そして、子供も巣立ち、老後一人でも 私自身が生きていく、「自分の為に」カウンセリング力を身に着けました。
その後、離婚という選択をしましたが、何とか細々と暮らしてはいけています。
私の所に寄せられる相談者の悩みは「離婚も視野に入れている」という前提で、出来れば離婚をしたくないけれど、村越のような強さがあれば、さっさと離婚が出来るのに・・・・・と言われる方もいます。
本当にそれは正解でしょうか?私はいつも首をかしげます。
貴女が離婚を躊躇している理由は、一人で生きていく仕事や資格がないから?
もし、そういう資格があれば、もっと悩まずに離婚を出来る?
私の答えは ノーです。
人は離婚を選ぶとき、食べていける能力があるから、離婚をするのではありません。
実際、私自身も離婚をする時点では、何も食べていけるという自信や、裏づけがあったわけではありません。
本当の事を言えば、散々苦労をかけられたあげく、元夫の方から離婚を言い渡されたので、私にとっては寝耳に水でした。
そして、これまで子供達の為、そして元夫のため、家族だけが形を保つには 離婚はしてはならないというつもりで、働いてきたのに
この私が離婚を言い渡されるなんて、これまでの私の苦労も、報われないじゃないか、と腑に落ちない思いでいっぱいでしたが
実際、その頃には、私も夫への愛情なんて、疲弊して無くなっていたので、もうすがりつくことも出来ませんでした。
だから、離婚をしたのは 私が一人で食べていける自信があったわけでもなく・・・・
何か特別な資格があったわけでもなく・・・・・
住む家や、現金の貯金があったわけでもなく・・・・・・
たった一つ、家族だけがバラバラにならないように、踏ん張ってきた「離婚をしない」という私の生きがいが、もろくも取り上げられた
元夫からの離婚宣言でした。
それで、私が首を縦に振った理由は・・・・・
こんなに頑張ってきた妻の努力も、苦労も、何も報いようとしない元夫に、「人として」絶望したのです。
そう・・・・・絶望です。
だから、私は強くも何もない。
ただただ、私は絶望したのです。
でも、絶望って、便利なのです。
何故なら、絶望って、それ以上、下はないのです。
後は、這い上がるしかなく、絶望の上を目指せるのです。
そういう事の選択を余儀なくされたのが、私の離婚でした。
だから、ありがたいことに、1ミリも未練を感じる事無く、離婚を後悔する隙間も与えられなかった。
ただ、人間って、苦労をしたからって報われる保障はどこにもないのだという、残酷が私を強くしました。
でも、相談者の方がよく、口にする事は【村越さんのように強さが欲しい】と言われます。
でもね、よく考えて下さい。
貴女にその強さがない理由を。
貴女は両手に一杯のものを抱えています。
結婚生活で得られる、メリットを沢山手に、握り締めています。
その握り締めた手には、まだまだ 貴女が必要としているものが一杯入っているから
又別の強さを求めたときには 今、手を開いて新たなものと手に入れるには、握り締めたこぶしを開けないといけないのです。
そうしたら、開いた掌から、これまで、守ってきた持ち物を失います。
貴女が、離婚を潔く、決められないのは、今、手にしているものが、やはり必要だからです。
結婚しているとき、私は生活が苦しかったです。
お恥ずかしい話ですが、平成の時代に、ガスや電気、水道を止められたことがありました。
息子が、それで、水道局に行き、わずかなお金を払って、水だけは出るようにしてくれた事もありました。
そんな、貧乏をしていましたから、多少の貧乏をすることなんて、何も怖くはない。
つまり、私の手の中には、何も無かったので、掌を開けて、次のものを掴めるのは、ある意味幸せでした。
離婚をしたら、不幸になると決め付けている人に言いたい。
それは、今が幸せだから、です。
本当の幸せは、どん底を味わった人しか、得られないのかもしれません。
しかし、そんな風に言うと、光熱費くらいは支払える生活は誰しもあるので、本当に求めるものは、気持ちの問題と言われます。
今が夫婦の間で、気持ちが通わず、食べていけないような貧乏ではないけれど、気持ちはどん底だと言われます。
だからこそ、気持ちの問題を何とかしたいと望まれています。
確かに、このご時勢、ライフラインを停められた話なんて、そうそうないですから、私のケースは特殊な話です。
普通の人は、皆ある一定の生活水準は保っている中での望みなのかもしれません。
でもね、あえて言いたい事は 私、村越の強さを羨ましがるのは止めましょう。
いくら強さを身に着けたと言っても、それはどん底があったからです。
本当の意味で地獄を味わったから、這い上がるしかなかったのが 私の力として備わったとしたら、皆、そんな生活を出来るはずがない。
そこで、相談者が望むのは、もし離婚になっても、生きていける力強さとか、自信とか、資格とか、そういう生活力が欲しいと言われるのですが、恐らく そういう人は 立派な資格を持っていても、不安は尽きないでしょう。
つまり、人が力強く生きていくには、自分の夫に何も、求めなくなる事です。
それなのに、「ご主人と、修復するには何が必要ですか?」と聞くと、「夫が変わってくれたら、老後も一緒に暮らして生きたい」と言われるのですが、相手が変わることが前提であれば、何も事態は変わらないのです。
何故なら、そこには相手に期待をすることを諦められないという自分がいるからです。
夫が変わってくれたら、と言う期待を止めない限り、何も生まれないのに、相談者は、自分は期待しないようには、変われない、と言われます。
つまり自分は変われないのに、相手には変わって欲しいと願っているという矛盾に気がついていないのです。
一緒に暮らす人に何も期待できない事ほど、そんな辛い事はありません。
それは、充分、分かります。
しかし、相手が先に変われば、妻の自分も変われるという順番で考えている限り、何も事態は変わりません。
ご主人に期待をするな、と言えば、そんな投げやりな答えなら、誰でも出来るでしょうが、そうではありません。
考え方の順序として、相手が変わることが大前提なんて、おかしいと言う物の道理を言っているのです。
妻自身、自分が変われないくせに、相手には変わってもらいたいと願っている事の矛盾に気がついてほしいという事です。
確かに、私も、多少は変なことを言っているのは分かっています。
まず夫の浮気という苦労をしたのに、何故妻の自分ばかりが、堪えないといけないのか、矛盾する話です。
世の中は不公平です。
矛盾だらけです。
割が合わないです。
でも、そこが分かってからなのです、夫婦で向き合うのは。
妻が納得できる話なんて、夫の浮気で、あるはずが無い。
こういう理不尽なことを、受け止めてから、この先の話が出来るのであって、この理不尽な結果を、嘆いて、夫が先に反省をしないと
何も解決しないと考えている限り、何も先には進めません。
本当のステップアップは、嘆いているうちは出来ません。
村越のような強さが欲しいと言われますが、みんなある意味幸せな生活をしている方ばかりなので、私と同じような強さは備わるはずが無い。
私の強さを羨ましがるなら、何もかも失くす覚悟が要ります。
でも、貴女がその覚悟が出来ないのは、手にしている幸せが、まだまだ、多いからです。
だから、諦めてください。
そんな私のような強さは、備わるはずがない。
貴女が求めている強さは、所詮「無い物ねだり」なのです。
これは嫌味ではありません。
無い物ねだりは、それだけ「沢山ある」ということの裏返しですから、貴女は恵まれているのです。
だから逆に言うと、力強さを身に着けたいなら、それは本当は裸にならないといけないという事。
でも、あなたは沢山を身に着けていて、裸になりたくないから、現状にしがみつきたいのです。
それは、いい事だと思います。
自分の不幸ばかりを数えるのではなく、幸せの数に気付けばいいのです。
そうしたら、離婚という危なっかしい橋を渡ることを望まなくなります。
そこから、本当の夫婦の修復が始まります。
今、恵まれている事に気付かず、もっと、もっと、と思うと、今の幸せに気付きません。
今の生活を大切にすることから、始めないと、いけません。
今の悩みから脱却する事は、反対に今の安定を捨てることを意味します。
離婚を選べた私は何も捨てるものが無かったからです。
元々裸だったから、裸一貫になる事が怖くなかったのです。
だから 私のような強さは、普通の暮らしをしている人には、備わるはずがないという話です。
で、・・・・じゃ・・・・・どうしたらいいのか?
まずは、離婚も視野に入れて・・・・という考えは捨てましょう。
貴女が離婚と言う事を考えている事がご主人への脅かしになるとでも考えていたら、それは大間違い。
夫を脅かしている時点で、本当は貴女も離婚の覚悟なんてないのですから。
そういう自分に気がついてくれたら 私も協力は惜しみません。
ただ、あなたが離婚も考えているという「強がり」を捨てない限り、ご主人も意地になります。
だから、安物の強がりは捨てましょう。
今日はここまで。