後ろめたさ
賛美歌で 好きな歌があります。
学校がカトリックだったので礼拝で唄ったのですが結婚式などでも歌われる賛美歌です。
(歌名は分からない)
♪いつくしみ深き、友なるイエスは~罪咎憂いを取り去りたもう~♪
今、ここで私はキリスト教の薀蓄を言いたい訳ではありません。
罪と罰と言う言葉は、どちらかというと、日頃 私が不倫問題の物差しにしている基準の考え方です。
不倫とか、不貞行為と言うのは、一夫一婦制の日本では 民事の法律に反する行為です。
つまり、不貞行為は不法行為。
こういういけないことに対しては、ある種法的にシビアな切り分けをしないと、いけないので、この罪と罰が悪質度を測るバロメーターに
なります。
例えば相手への、慰謝料の金額なども、この悪湿度も判断の一つになります。
でも、当方に相談に来られる妻は、2つの種類を見ます。
慰謝料や何だというより、、これから、こうした罪を犯した夫とどう過ごしていこうかという事を相談に来られます。
つまり、夫の罪を裁く?事よりも、今後を見据えての相談です。
それに引き換え、もう一方のタイプの妻は夫に裏切られた苦しさ、悔しさを、慰謝料の形で決着をつけようとする妻がいます。
要するに、どちらも、妻の気持ちの整理をどういう形にするか、という2パターンになります。
これはどちらのタイプが正しいか、ではなく、どちらも、その人の性格を表すものですから、どちらも有りなのです。
しかし、今後、夫婦で二度と浮気をして欲しくないと望むのなら、本当の意味で不倫を終らせないと、やっぱりこの先の安心できる生活もありませんから、一度は本気でお灸をすえるというのが、王道ではあると思います。
これをあえて「罪と罰」という妻が夫に与える処罰?的ジャンルの話だとすると、今日のタイトルにある「咎」は夫自身が感じる話なのです。
実際に当方に来られる妻の殆どが、これを望んでいるのです。
コトバンクの説明によると、「咎」とは・・・・
「人からとがめられるような行為。あやまち。 」
例文で表すと「過失を犯した咎は免れることができない」とあるように、消えないのが咎です。
逆に言うとある意味、罪や罰は償う事が出来るという事です。
でも、妻が本当に望んでいるのは、どうしたら、夫が反省をするか?または夫がどの程度不倫をしたことを反省しているか、計るバロメーターは何か?という相談が多いのです。
夫が妻に対して、それを反省して欲しいというのが妻の希望です。
罪や罰といった、罰則を与える話ではなく、夫の心が、自発的に妻に向けて反省をするという事が望みなのです。
つまり、具体的な罰則ではなく、心の中の問題で、夫が心から反省をしてくれることを願っているという相談です。
でもここで 残念なお知らせがあります。
「咎を感じる夫は少ない」という事です。
不倫の種類によるという前置きをしますが、当方に相談に来られた段階で、まず、深刻な状態です。
軽い遊びの浮気ではなく、妻を泣かし、家庭をないがしろにしている夫は咎を感じる事は少ないか、あるいはもっと先だと断言できます。
もしかしたら、不倫を繰り返す夫などは、咎という神経は持ち合わせてないのかもしれません。
そういう夫に、咎を求め続けるというのも、不毛な望み。
と、いう事で、叶わぬ望みを持ち続けるのではなく、妻がある意味割り切って、暮らしていくという覚悟が必要です。
この覚悟と言うのは 大変な感じがしますが、実は案外、難しいものではありません。
正しい目で夫を見る・・・・・これが出来れば、不毛な願いは消えます。
夫はこうあるべきというのは、妻である貴女の理想であって、本当の夫はそんな人ではないかもしれない。
今までは貴女の理想とする色眼鏡で夫を見ていたのかもしれませんが、フィルターの掛かってない裸眼でみると等身大の夫が見えてくると思います。
夫が貴女を裏切ったのではなく、貴女の要求する夫像を演じていたけど、演じきれなくなってぼろが出たと考えると分かり易いかもしれない。
夫も貴女の望む理想の夫を演じようとしても、長い時間になると疲れが出ます。
そんな時に、自分の趣味に合う、素のままでいられる女性が目の前に現れると、夫は楽な方に行くでしょう。
それが初期の段階で発見できたら、夫に引き返させる事は出来るかもしれませんが、長い間放置していたら、人間は楽な事の方が居心地よくなります。
だから、不倫を長い時期、放置しておいて、後々、夫を取り戻そうと思っても、今度は、夫が居心地のいい関係を引き裂かれたという被害者意識を持って、妻に対して、到底反省なんてしません。
少し違ったパターンとして、妻には長い間、不倫を隠していたとしても、同じです。
何故なら、妻の望む夫像を演じるには噓を付くしかなかったと、勝手な理論を繰り広げますから、何でも、気付いた時には
かなりの時間が経っていると言えますから、何でも「ン?変だな」と夫の態度に異変を感じるくらいの心の距離を妻は持っていて欲しいのです。
と、いう事で、妻が夫に「咎」を求めるのであれば、日頃から、夫の変化に気付く程よい距離を保ち、付かず離れず、というのはいいですね。
では今日はここまで。