精神的DVというモラハラの【次世代連鎖】
吉本興業の芸人「雨上がり決死隊」の宮迫さんと 「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮さんが、二人揃って会見をしました。
ひと事とは言え、身につまされる思いとは、ああ言う事をだと思い、胸が痛かったです。
大の男二人が、子供のように、涙を浮かべ、声を押し殺しながらも、搾り出し・・・・・
50歳前後の大の男でも、私は親の目線で見てしまい、息子が泣いていた子供の頃の姿を重ねてしまいます。
親からしたら、幾つになっても息子は息子。
自分の息子が、あんな風に世間の前で、何度も謝っている姿は、子供の頃、泣きじゃくっていた息子と何も変わらない。
両人のお母様方は、恐らくそれぞれの幼い頃の泣き顔を思い出されてたと思います。
本当の謝罪と反省の姿を見たような気がします。
ここで、吉本興業のあり方や、芸人二人が、お金を貰って、噓を付いたこと・・・・
ここを叩く事はもう必要ないでしょう。
もうワイドショーなどで、嫌というほど、繰り返し会見ビデオを流しているので、そこにメスが入るのは、時間の問題ですから、見守ります。
私の立場で、やっぱり、夫婦問題に重ね合わせて見てしまうのです。
今日は、そう言う事を解り易く、説いて行こうと思います。
まず、先日の会見を見ながら、「夫婦問題に、とてもよく似ているなあ」と考えてました。
不謹慎に思う方がいれば、謝ります。
でも、今回の本当の問題は、反社会派から、お金を貰ったことではなく、それの事を正直に言わず、噓を付いたことではなく、
吉本興業が芸人へのパワハラで問題を複雑にさせ、長引かせたのです。
つまり、最初の宮迫さんが、噓を付いたことを発端に、問題が変わってきてしまいました。
これを夫婦の問題になぞるのは、何でもかんでも題材にしたい訳ではありませんが、どんな事も問題の核の部分は、どこか共通点があるからです。
私のところに相談に来られるのは、夫に浮気をされた妻が殆どです。
何らか、妻が夫の異変に気付き、夫を問い詰め、夫が逃げ回り、それでも「話し合いという尋問」に掛け、夫から反省の弁を引き出したいのです。
そして、夫が浮気を認め、その上で反省をし、浮気相手と別れて、不倫関係に終止符を打って欲しいというのが、妻の願いです。
でも、そのやり方自身は、夫を頑なにさせる事になるので、妻の気持ちは解りますが、手段が間違っているのです。
ここは 私の長年のカウンセリング業の中で繰り返し唱えている事で、こと浮気問題については、夫婦が話し合って解決しないのです。
ここは、いくら妻が話し合いをしたいと考えていても、浮気をする夫が話し合いをしたいと考えていないのです。
それは何故か・・・・・
「浮気を止めない」という並々ならぬ覚悟だからです。
妻にばれたから、妻が、どれだけ夫を大切にしているかを、心から訴えても、それは妻の願いです。
でも、夫にも、夫なりの望みがあります。
それは、家庭人としてどれだけ、必要か?子供達がお父さんをどれだけ必要としているかを訴えても、夫がしている事は、一家の大黒柱でもない。
子供達の善きパパでもない。
男として、オスとして、浮気をしているので、そこはもう、家庭での役割とは別という事です。
ここを解らずに、家族を守る為、家庭人として、「どれだけ夫が必要か」を説得しても、片や外では不倫相手から「貴方が必要」と甘えられているから、どちらの言葉が夫には響くか、という事になります。
でも、まず最初は、話し合いという事で、心を合わせて、これからの事を話し合いたいと願う妻の気持ちは、ごもっともです。
しかし、夫にも夫なりの「ごもっとも」があります。
これは、妻には口が裂けても言えないことですが、夫なりのごもっともを押し通そうとすると、口が裂けても言えないことなら、無口になるしかないのです。
それなのに、話し合いというテーブルに着かせようと無理強いするから、夫は自分の部屋に逃げ出すか、妻が寝る時間にしか、帰宅しなくなるのです。
じゃ、外で何をするか、と言えば、時間もたっぷりあるから、浮気相手とデートする事になります。
だから益々、浮気相手との仲が深まるという事は、妻の話し合いの押し付けが、夫を浮気相手に押しやっているという悪循環になっています。
でも先日の宮迫さんと亮さんの会見を見て、思いませんでしたか?
あんなに、素直に謝って頭下げてくれるなら、浮気をした事も、許してあげられると思いませんか?
私もそう思います。
浮気も不倫も、やってはいけない事です。
でも、同じ事をやってしまっても、心の底から反省をするなら、人生に一度や二度は、過ちは起きるものです。
だから失敗は反省さえしてくれるなら、夫婦は前を向いていけるので、夫が素直に謝ってくれたら、再スタートが切れるのです。
そんな願いが届かぬ夫にぶつけられます。これは一番、やってはいけない失敗です。
一度、二度、と話し合いをしてみても、解決する見込みが無ければ、別の方向へハンドルを切る事も必要です。
そこで、今回の会見から見て、夫婦のパワーバランスによく似ているなアと思います。
その構図を説明して行きますね。
例え話ですから、登場人物を置き換えして、お読みください。
今回の吉本興業を、「浮気をした夫」
宮迫さん、亮さんを「され側の妻」に置き換えて下さい。
一番悪いのは、悪い事をした夫です。
その夫と、今後も一緒にやって行きたいと望むのは妻です。
妻も夫が浮気をした原因を考え、髪の毛を振り乱しての子育てにかまけて、夫への心遣いが足りてなかったと反省はしています。
だから原因の一端は自分にもある事は自覚して、夫に謝罪をしているのです。
その上で、夫に浮気を止めて、と訴えているのです。
でも、夫という吉本チックな人間は「もう遅い」とばかりに、妻を断罪し、妻と別居や離婚という話まで、出ているのです。
夫は自分のしでかした事を棚に上げて、その原因を作った妻に原因があるのだから、謝っても許さないという姿勢です。
ここに夫の何か意図するものがあります。
頭を下げている、または頭を下げたい妻に、謝る事を許さない、吉本の意図するものは何でしょうか?
ちょっと、ややこしい例えではありますが、夫は、妻に謝って貰いたくないのです。
夫は妻が頭を下げて、謝ってもらったら都合が悪いのです。
それよりも、何かわからないけれど、決裂の方が都合がいいという事です。
夫は妻に謝って貰いたくないのです。
それに気付かず、夫に執拗に話し合いを持ちかける妻は、もういい加減気付かないといけません。
「本当の真実」とは、言葉にならないところにあります。
言葉ばかりを求めて、約束という誓約をさせ・・・なんなら、誓約書を書かせるというのも、どうかと思います。
約束・・・・それはある一定の安心感には繋がるでしょう。
でも、夫の本当の心は別のところに真実があるのに、無理クリ書面に署名をさせても、そこは心にしこりが残るのです。
日本は、書面を重んじる国です。
言った、言わない、にならないように、約束事を書面に記録として残すので、一定の心強さにはなります。
でも、心が着いて行ってない、本当の心が別のところにある夫に、署名捺印させる事は、「今」ではありません。
しかし、話し合いをして、夫婦としてやり直すという答えを夫から引き出したら、それを形に残したいという気持ちは解ります。
でも、話し合いや事件の終息を急ぐあまり、「これにサインをしろ」とばかりに、紙を差し出すのは、「無理クリ」な空気が漂う事を知ってほしいのです。
裁判や、訴えごとで言えば、「和解」です。書面は、その記録の「合意書」です。
貴女のご主人は、本当にあなたの差し出した内容に納得しているでしょうか?
貴女と本当に「和解」しているでしょうか?
私の仕事上での経験ですが、こうして先走って、書面に夫の署名捺印をさせた夫婦ほど、夫の不倫が続いていると、再相談に来られます。
同一の相手ではなくても、また浮気問題が起きているのです。
もしかしたら、浮気性の夫は、一生変わらないかもしれないのです。
でも、この約束させる事に拘り、心の部分を見ることもなく、とにかく、早く、浮気の終結を急いだ夫婦ほど、同じ問題が起きるのは、浮気性という体質の問題ではなく、浮気問題の根絶は出来なくても、終息作業を間違ったという事なのです。
この部分を話し合いですべての事を、してしまうと、夫からは「納得したふり」で、そこを手短かに済ませようとするだけです。
そこには心はありません。
皆さん、吉本興業ではないけれど、契約書は無くてもいいのです。
誤解を恐れずにいいますと、契約書は、事業においても、取り決め、ルール、数値、それらの合意内容を記録する意味で、交わすのです。
親子や親戚の間では、お金の貸し借りをしても、ノートにメモっても、借用書などは交わさないことが多いと思います。
それは何故だか、解りますか?
それは信用しているからです。
「また出世払いでいいよ」と無期限のお金の貸し借りが出来るのは、お互いが信頼しあっているからです。
まさか、そこで「こいつは絶対お金は返さないだろう」とは思っていませんし、万一返さなくっても許せる間柄だからです。
つまり、信頼関係がある者どうしなら、借用書は必ずしも交わさないということは、OKなのです。
必要ないとは言いませんが、信頼できれば、契約書や、誓約書は交わす義務はありません。
それでも、誓約書や、契約書を交わすのは、信頼が出来ないからです。
日頃が付き合い無く、どんな誠実な取引が出来る人かどうか、解らないから、契約書を交わすのです。
お金を貸してくれる銀行でも、借用書を交わすのは、借りる人と信頼関係がないからです。
だから、貸したお金を返して貰える保証がないので、担保を取って、日々の利息を加算します。
利息とは、ペナルティーと同じです。
信頼し合っている親戚同士なら、ペナルティーなどは与えませんが、信頼のない関係の場合は
返さないと、利息がドンドン、足されていくというペナルティーが科せられます。
信じられないかもしれませんが、事業においても信頼が出来る相手とおもうなら、取引に契約書が必須ではないのです。
だから、貴女が、どう思おうが、夫に誓約書を書かせている段階で、信頼してないと、アピールしているようなものです。
もちろん、だからと言って、口約束はいけないので、念のために、約束事を記録しておくのは構いませんが、本当は信頼関係のある人間とは
誓約書などは、必ずしも義務ではないと言う事を知っておいてください。
小室圭君のお母様の昔の彼氏とのお金の貸し借りに借用書を交わしていません。
何故なら、その時には信頼関係であったから、借用書を交わすのは水臭いと思い、信用でお金を貸したのだと思います。
もしくは、差し上げたつもりでも、返してくれるだろうと、思っていたと思うのです。
それが何故か、男女の付き合いは終ったから、今更、返してと言ってきていますが、借用書を交わさなかったのは、いつか結婚できると信頼していたからなのではないかと、想像します。
貴女はこれから夫婦で、もう一度仲良くやっていこうと思いながら、ご主人に、誓約書を書かせたという事は、信用してないからです。
それを書かされた夫は、恐らく内心は渋々の場合が殆ど。
これが本当の話です。
企業同士の取引でも、信頼が出来るのなら、契約書は交わさなくてもいいのです。
でも念のために交わしておくのは、無難ではありますが、それは他人どうしだからです。
夫婦が誓約書を交わすという事は、水臭い関係と言う事を、知っておいてください。
宮迫さんと、亮さんの会見は身につまされました。
それに夫婦の事を、重ねて考えるのは、どうかと思いましたが非常によく似た構図を感じたので、参考にさせて頂きました。
でも、これから、いい方向に向かうことを祈っています。
では、今日はここまで。