妻として親として
今日はゴールデンウィーク2日目。
せっかくのホリデーに嫌な話を書くのもどうかと思い、今日は日頃、私が関心を寄せている「香川照之さん」のことに、うんちくを垂れたいと思います。
特に夫婦関係や、浮気問題には直結しませんから、飛ばして下さって構いません。
ただ、母子家庭で育った子供の立場から、とても共感するところがあり、表に出ている報道や、出ていない事にも、私の勝手な共感を含め想像は膨らませています。
彼の生い立ちは、彼の著書に書かれてありますが、私などは香川照之さんのお母様が女優浜木綿子さんとして活躍された昭和時代を知るものは、薄っすら知れた事件ではありました。
ざっくりとは、4月28日のヤフーニュースに書かれてあります。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190428-00560805-shincho-ent
さくっと説明すると、彼の父である市川猿之助さんが、浜木綿子さんと婚姻中に藤間紫さんと不倫をし、離婚をし、一人息子の香川照之さんはその後、女手一つで育てられ東大卒業後俳優の道を歩まれました。
その後、猿之助さんに会いに行く心境や、その上で、父親から絶縁を宣言されたが、その後、香川さんが歌舞伎の道を目指し、尚且つ、香川さんの息子さんも同じく歌舞伎の世界に送り込んだ心境は、とても、私にはよく理解できるのです。
結果的に、猿之助さんは市川猿翁に、香川さんは市川中車に、そして息子さんは市川團子さんに、脈々と歌舞伎の血は引き継がれていく道は繋がったと思います。
そして歌舞伎の世界に息子や孫を取られた?浜木綿子さんは、苦々しい思いの中でも息子の道を祝福し・・・・と一見、美談にも思う話ですが、香川照之さんは、そういう事を目指しての事ではないと思うのです。
一人息子の誕生もつかの間で、妻を捨てた夫。
その父に立派な成長した姿を見せに行ったにも関わらず、絶望的な言葉で断絶された香川さん。
普通の人なら、ここから父親と絶縁し、それを発奮材料として父親を見返す事に人生を賭けるかもしれません。
また、母の気持ちを慮ると母親への操を立てるかのように、母親を裏切った父に近づくことを、避けることも出来たはずです。
当然、その当時の浜木綿子さんの気持ちを聞いていたはずで、賛成をしていたわけではない。
もう少し、正直な言い方をすれば、香川さんがその年齢になって、今更父親に近づく必要も理解できなかったはずですから、決して喜んではいなかったはず。
それでも、時間と、襲名作業は進んで行き、香川さんは、俳優業の傍ら、歌舞伎の手習いをし、息子も同時に歌舞伎の世界に飛び込む事に成功しました。
その結果、長年の親子断絶の形は消え、猿翁さんの病身を看ることまでも、香川さんは成し遂げました。
但し、その影には、香川さんは自身の妻との離婚を余儀なくされ、またもや自身の息子も片親になる人生を作り出してしまいました。
もちろん香川さんの息子さんと元妻の絆は切れることはないと思いますが、元妻も、浜木綿子さん同様、父親に取られてしまった思いを持たれたと、想像は出来ます。
この香川さんの本意とはナニなのでしょうか?
それは恐らく、言葉には出来ない忸怩たる思いだと私は解ります。
表面的な部分が、前向きで、正義的であるだけに、そして結果が良好であるだけに、香川さんの意図するものが、綺麗なことであるように解釈されがちですが、苦しみの中には、そんなに綺麗なことばかりではないと思うのです。
回り道をして、結果的にハッピーエンドになったとしても、その胸の中には、人には言えない言葉があると思います。
それは何かと言うと、「人には理解して貰えない思い」です。
そして、もし理解して貰おうものなら、恐らく反論さえされるかもしれない思い。
反論するひとは綺麗ごとしか言わないという孤独感の中での戦いもあります。
だからこそ、途中で自分のしている事を説明しないという結果主義かもしれませんが、途中で説明したところで どうせ理解はして貰えないと感じている部分があると思います。
だから、結果で示したいという事がありますが、香川さんの目的は息子さんの團子さんが歌舞伎役者になる事ではない。
戦略や戦術で、その目的を果たせたとしても、それがゴールなのかと言えば、香川さんのゴールはそこではない。
本当はもっと、その先にあるような気がします。
又、ひとに理解をして貰おうというものでもなく、その環境におかれた人間にしかわからない孤独と意地。
自分の存在を片方の親が否定するという事で、どこか、自分のアイデンティティーが置いてけぼりを食う気持ち。
そうは言え、そういう父親に憎しみを抱くのは簡単だが、憎しみ以外の気持ちも抱えた人生。
それは思慕とか、そういう簡単なものではない。
逆をいうと、自分の中の憎しみ等を越えるためには、その憎しみの対象に苦しめられているようじゃ、自分はそれより小さな存在になる。
また、これを、親を超えて大物になるという風な、単純な解釈でも困る。
親を超えるという事は、親を許すという事でもあります。
親だからと言って、皆が立派なわけではありません。
親でも一人の人間。ちっぽけな人間ですが、それが、時には正しくなくても、親は親。
その親の事を許せないと思っている自分は、もっとちっぽけな人間に思えてしまうこと。
親を超えるとは、その親より出世するとかの意味ではありません。
ここでは、「親」と言う言葉を、「夫」や「妻」または上司や、友人に置き換えても言いです。
許せないなら、許さなくてもいいのです。
何でもかんでも許さなくてはならないという事ではないのです。
でも、あらゆる問題が超えられなくて苦しんでいるなら、本当に許せないのは、相手からされたことではなく、そこからいつまでも抜け出せない自分が許せないのかもしれません。
香川さんの父親は歌舞伎という世界に生きる人で、その愛人は日本舞踊の藤間流の人間でした。
そしてその父親の歌舞伎の血を絶やさないのは、世襲制の中で貢献することです。
これを果たした香川さんは、最高な親孝行で、母親には最低な裏切りです。
でも、そこを超える事で、失ってしまった片方の腕を取り戻したかったのかもしれません。
私も母子家庭で育ちましたが、3人兄弟の女子、一人で、父親には可愛がられた記憶しかありません。でも母親が父親の悪口をいうものだから、父親に会いたいなんて、苦労してくれている母を裏切るような事は、口が避けても言えませんでした。
父が母にした暴力的なことは知っていましたが 幼い私は罪を憎んで人を憎まずで父の悪い点は、私に対する父の優しい記憶で、帳消しになっていましたがやっぱり父に会う事は希望すら表せないまま、結局、母親の死後、父の戸籍を取り寄せ、10年前に亡くなっている事を知りました。
そういう意味で、思慕も、憎しみも、恨みも、すべて、自分の中で消化不良になったままです。
こういう未消化のままで、私は自分の幼い頃からの叶わなかった思いも・・・それでいて
父も母も大好きだった事。
でも、それを伝える親も、揃っていなかったこと。
そのお陰で、片親が故と思われるのが嫌で弱音を吐く事はできない意地っ張りな人生を歩むしかなかった事。
それでも、本当は誰も恨まずに、案外幸せな人生を歩ませてもらっている事。
それは父と母に貰った耐える強さのお陰。
人生って、上手くできていると思います。
いろんな苦難に耐えられない人は それだけ幸せな人生を過ごしてきた人です。
その人が耐えられないような試練は神様は与えないそうです。
そういう意味で、今の苦しみは、貴女が越える事は出来るのです。
今日は香川照之さんの事をフィルターにして、片親の子供の思いを書きました。
誰もが、あんな風に、過酷な人生を歩むとは思いません。
でも、試練はきっと超えられると信じて、これからも、前向きに生きて行きたいと思います。
では今日はここまで。