中山美穂、夫が中性化で離婚?
この度は小室哲哉さんの不倫が色んな方向へ飛び火しています。
もちろん人それぞれの考えがありますから、立場によっての解釈があっていいと思います。
誰に対して謝罪して、誰が謝罪をされたがっているのだろうか?という議論もある中、有名人の不倫を血祭りに上げて、売り上げ部数を伸ばす週刊誌は、もうそろそろ一考の時期に来ているという考え方。
いやいや、重度の妻の介護をする中で、家族の負担はいかばかりか?という議論。または妻の病状をあそこまで詳しく述べる必要があっただろうか?という議論。
もっと厳しい見方をすれば、その妻の病状を詳しく述べる事において、他人は、小室哲哉さんを叩く事に反省を求められた感さえする後味の悪さ。
プライベートをさらされる有名人の宿命と言ってしまえばそれまでだけれど、バッシングに対して引退という爆弾で幕引きをしたのは「これ以上、叩かないで」という声にならない声にも感じます。
でも、私の仕事柄、どうしても引っかかってしまう・・・・いや、考えないといけない部分があります。
世間の一般的な見解と違い、「仕事上、見てきた事実」からの考えですから、正解か、間違いかは別として、「事実、ある」という見解です。
とても尾篭な内容になるので、人格を疑われる事を覚悟はしていますが、これもひとつの考え方としてお読み頂くと助かります。
まずは、小室哲哉さんの今回の問題は、3つの問題で構成されます。
1、妻のいない間に、看護師女性と家やホテルで密会→それを治療の一環と言う
2、少女化してしまった妻の介護に疲れて、心の拠り所を大人の女性に求めた。
3、エンターテイメントとしての活動に幕を下ろし、引退をする。
これらの事がごちゃごちゃに合わさって、最終的には、「男性として機能を喪失している」という理由の元、不貞関係は否定したという結論づけ。
ここが 私は職業柄引っかかるのです。
例え、週刊誌の追跡が凄くって、ホテルの出入りは張り込めても、誰も密会の部屋の中までは撮影出来ません。
小室哲哉さんはC型肝炎を患い、男性として機能しなくなったと言われても、誰も確かめた訳ではありません。
つまり、昨年流行した「一線を越えた云々」の意味においては、一線は越えることが出来ないという理屈です。
でもね、ここが一般の家庭でもよく言われることで「一緒に飲みに行ったけど、深い仲にはなってない」という事で妻の疑いを一蹴する夫が居ます。
この深い関係かどうかは、誰も目で見たわけではないので、言われたことを信じるしかありません。
特に不倫を実際していた夫からは、「もう終ったこと」と言われ、現に私のところに相談に来られる妻の方も「夫の不倫が終ったと聞いている」と夫の言葉を信じていますが、私にすれば「確認はしてないのでしょ?聞いているだけでしょ?」と言いたくなります。
夫が不倫は終ったという事にどこか救われる妻もいます。
不倫を実行中の夫はひと言だって、「今日は浮気してくる」とは言わなかったはず。
その浮気中は必ずと言っていいほど、残業だ、ゴルフ旅行だ、休日出勤だと言っていたはずです。
その嘘を付いていた同じ口で、今度は浮気は終ったというのです。
でも、もう疑う事に疲れた妻はそう思いたいのです。何も検証や確認はせず、終ったという夫の言葉に救われたいのです。
それと同じ構造ではありませんが、皆、今回の小室哲哉さんの「男性の機能が果たせない」と言う言葉に、最後の一線を越える事が出来なかったと解釈せざるをえなかったのですが、実はここがミソです。
最後の・・・・つまりフィニッシュさえしなければセックスをしたとは言えせない。これが男の理論だとしても、同じホテルに10時間以上滞在するには男性としての機能が果たせるように努力した時間はあったと、私は見ます。
男性として機能したかどうかは結果であって、それは試した者にしか解らないのです。
つまり病中病後は男性も体力万全ではありません。
ただ回復すれば、万全とは言えないまでも、男性としての自信も確かめたいものです。
それは一人エッチだけでは、回復の度合いはわかりません。
女性を前にして、男性としてテストしないと、「男性機能が衰えた」とは言えないのです。
つまり、小室哲哉さんと看護師女性は、治療という処置とは違う時間に、ホテルに行っている段階で、それはアウトです。
そして男性としての機能が果たせなかったという「体験」をし、機能の衰えを自覚したということですから、こういう行為はあったとみなします。
だから、一線を越えてないという事に、一瞬誤魔化された感はありますが、そういう事をする関係であったわけで、何もしなかったという事ではない。
下衆な想像ですが、仕事柄とは言え、つくづく皮肉な見方をしてしまいます。
これは何でもこうした経験値があるかないか、なのです。
私が40代の頃、喫茶店を経営していて、リフォームをお願いした建築会社の社長と知り合い、公私ともども親しくなり、色んな会話をしました。
もちろん、変な関係ではないですよ。ただ、私は喫茶店のママという立場ですが、何かとサクッと話しやすかったのか、何でも悩み事はその社s長さんは話してくれました。
時には、ご馳走を食べさせてくれたり、自社の慰安旅行や蟹食べ旅行などのツアーも組んで大勢で楽しく遊んだものです。
そんな中、プライベートな話もするようになり、その社長さんは50代で、糖尿病を患っているという事も打ち明けてくれました。
特に男性の機能も衰えたという悩みは 我々女性にとっては、意味が判らない話でしたが、その頃から今の仕事に繋がる要素があったようで、
何でも打ち明けて話して下さいました。
その後、治療の甲斐あって、糖尿病は回復したのです。
でも、血糖値が改善しても、男性の機能は戻ってこないという事で酷く落ち込んでらっしゃいました。
これって、男性にとれば死活問題で、自信も喪失する事になるので、仕事にも影響するというわけです。
奥様はとてもしっかりした女性で、社長は病気になる前から、頭が上がらず夫婦関係は良くなかったと言われます。
だから、病気が回復しても、奥様と仲良くする訳でもなく、逆に言うと、奥様では欲情しないと言う訳です。
かといって、風俗のようなお金を出してというのでは、男性としての自信を取り戻すというのとはちょっと違う。
社長は純粋に恋愛して(妻子ある段階で純粋とは呼べませんが)女性を愛する事が出来る機能が残っているかどうかは、試してみてでないと解らないというのです。それには妻では駄目なのだと言われます。
これ自身は、あまり褒められた話ではありませんが、社長の奥様は、社長が外で遊ぶのは全然OKのタイプで、逆に妻にスキンシップを求められる方が嫌だというくらい、夫婦としては冷え切っていましたので 社長の希望も解らなくもない。
そこで、彼女でもできないかな~というのが本当の希望で、まだ見ぬ彼女の登場を期待され、私に誰か女性を紹介して欲しいと言われていました。
ひとつ間違えば、私も別の職業に手を出す事になったところですが、この話は、今の私にはとても男性心理を考えるいい材料になっています。
つまり何が言いたいかと言うと、小室哲哉さんは女性と肉体関係があったかどうかより、それを試した結果、果たせなかったと言っているようなものだと私は解釈しました。
だから、世の奥様方にも言いたい。
「深い関係じゃない」というのは、一線を越えたかどうかではなく、一線を越えようとしたかどうかも問題だ、という事です。
今に始まった事じゃないかもしれませんが男性機能が果たせないというのは、試したからこそ言える話です。
昔、ある人から聖書の話で聞いたことがあります。
人を殺した人と、殺したいと心に思うこととは、同じ事だと・・・・・
罪と罰は、現世では違うかも知れないが、心の中では同じ罪だと・・・・・
小室哲哉さんの「看護師女性には好意を感じている」という言葉に介護疲れの男の悲しさを感じましたが、女性とは肉体関係がないという否定までは出来ないのでは?と感じましたが、引退という決断を言われてしまうと、もういじれないじゃないか・・・・
ずるいな、と思う私は厳しすぎるでしょうか?
でも、確かに妻のケイコさんの介護は夫が仕事をしながらでは、限界があるので、もっと介護の制度や施設を活用し、独りで抱え込む問題としては、オーバーワークになってしまいます。
子供のように目に手を当てて泣く小室哲哉さんの姿はかわいそうでした。
では今日はここまで。