浜ちゃんの浮気に見る別れの潮時
よく、、相談を受ける中で、「どうしたら夫を信じられるのか?」という質問を受けます。
では、あえて私からも問いたいのですが、「何故信じないといけないのか?」
これを改めて考えてほしいのです。
恐らく夫に浮気の疑いを持ったり・・・・
あるいは その疑いを夫に突き付け、問い詰めたりして・・・・
その結果、夫から「浮気相手と別れてきた」・・・・・とか、
あるいは「浮気はしてない」・・・・・とか
つまり否定をされるのです。
その結果、浮気事件は過去のものとなってしまいます。
だから、その過去の事にいつまでもこだわる妻に対して
「そんなに俺を信じられないのか?」と、信じない妻の方が責められてしまうという風に
立ち位置が変わってしまいます。
妻の望みは一つです。
夫が浮気をやめて、妻と修復すること。
その大前提として、妻が夫を信じないでどうするんだ、と
双方が夫を信じて再スタートしようという事を、ある意味、誓う事になります。
夫の浮気をしていた時の出来事が妻の脳裏にフラッシュバックのように蘇る。
夫を疑い、夫の持ち物を探っていた時、妻自身が自分が自分で嫌いになる。
こういう気持ちから、早く卒業したい。
これが夫を信じるということで乗り切ろうとします。
この気持ちは、私には手に取るように分かります。
でもね・・・・・・・
これは問題を取り違えています。
夫の浮気が本当に終わったか、どうかは別問題です。
妻が夫を信じようが、信じまいが、終わったかどうかは別問題です。
妻が夫を信じたから、浮気を終わらせる夫であれば、もともと、浮気に勘付いていなかったときは
妻は夫を信じていたのですから。
その妻が夫を信じていたから、夫は浮気を出来た・・・いや、妻が夫は浮気をしない人という風に
信じていてくれたから、浮気をしやすかった訳です。
だから、浮気が発覚し、それをやめてほしいと願い、
妻自身も「私にも反省すべき点があったから、私も努力する」と、
何となく、妻の方が、これから疑わないと約束させられてしまいます。
夫の浮気は終わった、と信じることにすることを誓約させられます。
あれ~~?
何かおかしくないですか?
そもそも、夫の事を信じて、浮気なんて疑ってなかったのに、
夫を信じたら、夫の浮気が止む、というのは、論点が違います。
ここで立場が逆転したことに気づきませんか?
でもね、夫を信じないと、これ以上前に進めないと夫から言われたら?
何なら、「夫を信じない妻なんて・・・・」と、逆切れまでされたら?
妻は、夫の逆切れに、結婚生活が終わるかもしれないと、恐怖を抱く事になります。
つまり、信じることによって、夫が以前の夫に戻り、怒ることもなくなる・・・・・
あれ~~~?
そういえば、以前、「夫の浮気を疑う暮らし」を思い出して下さい。
その時は夫を信じていたはず。
信じていたのに、浮気をされていた・・・・その状態に、また戻るという不安はありませんか?
その不安を打ち消すのが「信じる」という「盲信」なのです。
不安を感じても、それを見てみないふりをする・・・・・・
イワシの頭でも「神様」だと信じる事を「盲目」と言います。
今のあなたの気持ちは、夫といろいろあったけど、お互いに悪いところも改めあって
夫婦をやり直そう・・・・
それが信じる事を思っていても
その不安が消えてないなら、それは「盲信」しようとしているだけじゃないですか?
では、何故「盲信」しないといけないのか?
それは逆切れの夫が怖いから?
信じないと夫が離婚や別居をすると言っているから?
でもね・・・・・
こうした脅威に感じている夫と、健全な関係が築けるはずがない。
もちろん、健全でなくても、とにかくこの結婚生活を続けたい。
子供も小さいから、離婚をする訳にはいかない。
なんだかんだ、言いながら、妻自身も、反省すべき点があるから
夫だけを一方的に責めることはしない?
でもね、よくよく考えると、妻が責められていませんか?
今の構図は、夫の浮気の終わりをはっきり確認もせずに
ただ、ただ、夫を信じるという・・・・・・
「盲信」をしないと、この結婚生活は終わると脅かされている・・・・・
こういう関係は精神的DVに等しい。
私は信じるという事はどちらか一方だけでは成立しないと思っています。
逆に、どちらか一方だけが信じるとしたら、それは・・・・・・
「全面降伏」と同じです。
お互いを信じあわず、片や信じろと命令し、
片やが信じないと、現状を維持できないから盲信する。
互いを尊重しあわない関係に「信じる」という言葉を使っちゃいけないんじゃないかな?
ね?
もうそろそろ、気づいたでしょう?
貴方が思っている「信じる」なんて事は
本当は信じられないから、苦しいのです。
信じられないなら、そんなにすぐに信じる必要はないのじゃないかな?
では今日はここまで。