夫婦は話し合ってはいけませんVol,5
これまで何度となく書いてきた「話し合ってはいけません」というテーマ。
それを読んで、相談者は「失敗した」と反省の言葉を述べられます。
特に相談に来られた方は「先生のコラムに書いてあった話合いをしてしまいました」と謝られます。
いやいや、話し合いをしたからと言って、私に謝る必要はありませんよ。
妻としては夫の浮気を知ったら、動揺もするだろうし、不安で胸が押しつぶされるような気持ちになります。
そんな時、見逃すのはようくないし、夫に忠告の一つもしたくなる事は当然です。
だから、そういう発見時は話し合いをすることは当然です。
しかし、何度話し合いをしても、改善されないなら、話し合いは効果がないという事ですから、いつまでも
同じ方法ではダメと気づいてほしいという事です。
でも、なぜかしら妻は話し合いをしてしまいます。
それは何故でしょうか?
1番の理由は話し合いという方法しか知らないから。
2番目の理由は世間の風潮は話し合いがベストとする刷り込みがあるから。
3番目に考えられるのは話し合いが一番平和的で穏やかだから。
4番目は特に費用が掛からないから
5番目は話し合いをしているときが夫婦で向き合えるから。
でもね、話し合いの効果があるなら当方に相談に来られる必要はないのです。
当方に来られる方は、これまでそういう話し合いをしたにも関わらず、その効果がなかったから、どうしたらいいかと、私のコラムを見つけて下さった人なのです。
何かいい方法はないか?
このようなすがる気持ちで当方のドアを叩いて下さいます。
でも、相談者の殆どがこの話し合い路線から、出る事が出来ないのです。
ご自身では、新たな方法を探したくって来られています。
しかし、新たな方法とは言え、ご自身が考えられる枠の中だけでの模索ですから、そこから出る考えは持てないのです。
浮気相手と夫を別れさせたい。
夫の心を取り戻したい。
そうは思いつつ、やはり妻の願いは平和的に解決する事。
決して事を荒立てるなんてしたくない。
そうなると、自分が出来る事はあくまでも、互いを傷つけず、夫婦がいがみ合わないままでいられる方法。
そんな風に自分の中で想定出来る事は、やはり1~5の範囲の枠から出られないのです。
自分では そういう枠の中で考えているとは、自覚はないと思いますが、やはり一番望んでいる事は
波風を立てない形で、解決したいという事なのです。
だから 私のコラムを読まれて、話し合いが失敗だったと気づかれた結果、当方のドアを開けられるのですが、
どうしても 上記に書いた1~5の枠から出られないのです。
結局、何故、この枠から出られないか?
その答えは、何か新たな方法はないかと悩みながら、結局自分の想定以外の事は勇気が出ないということなのです。
確かに未知の世界は怖いものです。
でも、自分自身だけでは、解決できないから、プロの意見を探し、ネットサーフィンをされたり弁護士相談に行かれたりして、色々な意見を聞きに行かれます。
しかし、法律家の弁護士の所では、離婚をしたりする時のお手伝いは出来ても、離婚をしたくないという修復相談には、あまり力になって貰えません。(実際は可能ですが、弁護士はあまり修復は得意ではありません)
だから「どうしたらいいか?」というつもりで相談に行ったのに、何も答えを貰えなかったという風に感じて肩を落として帰宅するという事になります。
でも弁護士さんも優しいタイプもいますから、手ぶらでは相談者を帰してはいないはずです。
きっと何らかのアクションを勧めているはずなのです。
しかし、相談者はその「アクション」と言う言葉にとてもアレルギーを感じてしまいます。
そうです。アクションは相談者にとっては、夫に反撃することになると考えてしまうのです。
アクションを起こせば、波風立つ。
だから本当の願いは波風立てず、事を解決したいと、心では考えているのです。
ここが私も悩ましい事なのです。
何か方法を・・・と相談者は探しているようで、実は 何もしたくないのです。
でも、もし何か出来るとしたら、波風立てずに、夫の浮気が終わり、夫の心が戻ってくるという
手品のような方法はないか、と探しているのです。
この手品のような方法は・・・・ない。
もし、アクションを起こさず、夫や周りが自然に妻の希望に沿って来るというのは、手品かおまじないしかありません。
私は神仏はとても神聖なものだと思っていましたが、神社仏閣を回り、意外とドロドロした思いの、終点なのだと感じています。
縁切り寺は、腐れ縁や、働かない怠け者の夫などと縁を切りたい人が来るところと考えていましたが、
そこに吊るされている絵馬などを見ると、恐ろしい事が掛かれてあります。
特に目を見張るのは「彼が妻と別れ離婚をしてくれますように」という文言が多く見られます。
何という事を・・・・・
神社の神様はそんな願いを聞いてくれるの?と、目を疑いますが、神様は誰に対しても平等です。
例え善からぬ望みであっても、悩む人には公平です。
人の家庭を不幸にして、自分の願いを叶えたいなんて、こんな勝手きわまりない望みを神様は叶えて上げるのか?と私は目を疑いたくなりますが、実はそうではないのですね。
神様は、本当に心が大きい。
悩める不倫をする女性に対しても寛大です。
だから、その不倫をする女性に対して、その不倫相手である男性の家庭を壊すという具体的なアクションがとれないから、神頼みに来ている事を知っているのです。
だから、そういう絵馬に願いを書かせて、ガス抜きをさせてあげているのです。
!!オーマイゴット!!です。
そうです、何もアクションを起こせない人は、神頼みか、おまじないのような事しかないというのが
神様は知っているから、そういう勇気のない人への救世主なのです。
ちょっと、神社の神様と、キリストと話が混じってしまっていますが(笑)
勇気がない人もいて当然。
人には色んなタイプがありますから。
何でもかんでも、挑みかける向う見ずの人よりは慎重でいいのかもしれません。
但し、自分の夫は、実際浮気というアクションを実行しているのです。
特に下半身は、倫活という活発な活動をしているのです。
ここまでアクティブに活動している夫に対し、お祈りや、お願いだけで、夫が不倫を止めるはずがない。
釈迦に説法
馬の耳に念仏
夫の下半身に道徳論
やはり暴走馬は、実力行使で取り押さえないと・・・・・暴走は止まりません。
暴れる馬に聖書を読んで聞かせても何も効果がないように、お願い止まってと願っても何も効果がありません。
だからこそ、どうしたらいいか、困っている妻の悩みは分かるのですが、やはり悩みは行動に変えないと
解決しませんし、悩む事と努力は別です。
もう十分悩んだでしょうけれど、悩むだけでは、夫の浮気はどんどん進んで行きます。
何故なら、妻がピーピー言ったところで、そこには「分かったよ」と耳を傾けるふりをしたらいいだけですから、暴れ馬の下半身を持つ夫は、妻の念仏は効果がないのです。
怖いけれど、暴れ馬を押さえる秘訣・・・それは妻のアクションしかないと思います。
あ~それにしても、朝のニュースでは、他国の暴走を色々論じています。
特に、ある、北の方の国では、核を持ち、ミサイルを日本に打って来ると心配しています。
その北の偉い人に、大人しい日本人は、困っているのです。
政治家は何とか話し合いをしようと、頑張っていますが、話し合いの通じる相手とは思えません。
話し合いが通じない相手・・・・そこに対抗していくには、何やらきな臭い話。
戦争の二文字が脳裏をかすめますが、ここにきて、それが現実味を帯びてきました。
アメリカが本当に日本を守ってくれるのかしら?
結局自分の身を守るのは自分。自国を守るのは自国しかない。
目には目をではないけれど、相手が理屈の通じない国なのに、話し合い路線で日本は行こうと思っているのでしょうか?
でもね、そうは言っても私も子供も孫もいます。
誰一人、戦争なんて行かせたくないし、まず戦争は嫌です。
戦争はダメです。
しかし家庭の中で起きている問題に、あまりの平和ボケもどうなのでしょうか?
貴女の将軍様と話し合いをできますか?
あ、言っちゃった、将軍様って。
これ以上話すと、怖いので、やめときますが、家庭の中の戦争はしてもいいと思いますよ。
何故なら命までは取られませんから。
何も喧嘩せよとは言いません。
しかし、不倫の暴走をしている夫に、いつまでも平和な話し合いで解決するという幻想は捨てないと。
話し合いは、一見平和的交渉だと思っていても、それが物別れになっているのは決裂と同じです。
ね?ちっとも話し合いは効果的ではないでしょ?
もう、いい加減、腹をくくらないと、不倫相手の女性の方が、アクションを起こしてきたらどうするの?
不倫相手の方が、根性悪いですよ。
貴女が平和路線で、テーブルにお茶を出して夫と話し合いをしている間に、縁切り寺に言って、
絵馬に、貴女の家庭が壊れるように、と願掛けしているのですから。
・・・・う~ん、妻も浮気相手もどっちもどっちか・・・・
それにしても、日本の歴史って、何故、戦(いくさ)ばかりで、時を刻んで来たのでしょうか?
私は歴史の年表って何も、魅力を感じないのです。
誰が勝って、誰が敗れたか?
誰が武将で、どんな戦略を立てたか?
そんな、戦争でしか、変わらなかった歴史が今の平和な妻たちに、戦う事をアレルギーにさせているのでは?とさえ考えちゃいます。
私も平和的交渉は出来なかったかと思ってしまいますが、色んな場面を動かしてきたのは、戦だっただと思うと、物事を解決したいときには、勇気とアクションが不可欠なのだと思います。
では今日はここまで。