愛情のケチ
今朝、フォーク歌手のイルカさんが、丁寧な生き方という講座を寺子屋という番組でお話をされていました。
藍染とか、手描き柄の着物を着られて、その多彩さに驚くばかりです。
そんな中、和歌にも造詣を持たれ、いい事を話しておられたので、引用します。
和歌は一番言いたいことを隠す歌のようです。
しかし それを聞いた人は 何が言いたいのかと読み取るというのが、おもしろさでもあるようです。
一番言いたいことをあえて言わない。
その上でそれを推測する。
なんと面倒くさいことでしょう。
分かってもらいたいなら、ストレートに表現したらいいのに。
私のような気の短い人間にとっては、この面倒くさいことを省きがちです。
でも、この面倒くさい作業の中に、色々思考が磨かれていくそうで、
奥ゆかしさを美学とする日本古来の考え方のようです。
そのせいか、どうかは分かりませんが、イルカさんは 手描きの着物を自分で染めて
自分で縫っているそうです。
染料も、無農薬の自然の植物を使うので、単なる人口の染料ではなく、その染料つくりから始めると
いう手の込んだものだそうです。
着物一つにしても、何人もの手が掛かって、時間も要していることが分かるようになったということです。
そうなると、町で売っている商品一つにも、いろんな人の誠意が入っていて、みんなが苦労したんだろうな、という共感が生まれるそうです。
イルカさんが自分で作った着物を自分で着ると材料費はしれてても、そこに費やした時間はお金には替えられないものがあるでしょう。
そうすると、物に対する値段が高い安いというものだけではない価値を理解できるようになるそうです。
もっと言えば、手作りの着物なんて、例え譲ってと言われても値段がつけられないというわけです。
あ、また話がそれてしまいました。
そうそう、和歌の話でしたが、その一番言いたいことを言わない表現というの、先日から書いているコラムの
「本音」という部分にとても共通するのです。
和歌のいいところは、一番言いたいことをあえて隠すことによって、読み手としたら、推測をするという点においては、多分答えを最初からダイレクトいうのは簡単だけけれど、その推意するという過程に、いろんな考え方が、その人らしさになっていくと思います。
むしろ、答えが大事なのではなく、推測するという過程が大事なのだと、私は感じました。
昨日も書きました、「別れ」についてですが、人は別れる時こそ、本音を言いません。
本当に心から愛していたら、何とか、その人と継続できるように努力や創意工夫ををします。
しかし、遠距離になってもう会う事が出来ないからと言って別れるのは、遠距離では付き合いが面倒くさいという本音があります。
この面倒くさいというのは、やや乱暴な表現ですが、分かりやすく言えば、遠距離になると、会うのに交通費も掛かるし、時間もかかるし、何よりも会いたいのに会えないという苦しみを背負う事が面倒くさいという言葉に表現しました。
世の中、遠距離だからこそ、心の距離を保とうと努力をするカップルはいます。
仕事が忙しくって会えないなんて言うのは嘘です。
あのIPS細胞を発明した、山中教授だって結婚くらいはしています。
政府からの補助金も出ているような研究所なら、その重責なるやすごいものだと思いますし、寝ずにマウスやラットの見張りもしたはずです。そういう世の中の大変な事を担っている人たちだって、異性とは交際し、結婚するのです。
あの、キムタクだって、工藤静香さんと結婚する時は、種子島にサーフィンに行ったり、数々のデート現場をキャッチされてますよ。
だから、忙しいなんて事は、相手の事で煩わされたくないという本音も隠されています。
でもそんな事は口が裂けても言えませんから、「仕事が大変だから会えない」というのです。
中には、海外任務が決まったと言って女性と別れて、西新宿でばったり会ってしまった、なんて人もいました。
「あれ、海外に行ってたんじゃなかったの?」
と聞かれて、慌てて「あ、一時帰国」なんて汗を拭きながら言い訳をした人もいます。
別に嘘がよくないとはいいません。
嘘も方便。
時には嘘こそが相手を思いやるという事もあります。
私なんて正直に「ブス」って人に言われたら自殺3回しても足りないわ。
世の中には 正直に言う必要のない嘘もありますが、正直に言えない嘘もあります。
それが別れの言葉です。
別れの言葉なんて、嘘ばっかりです。
でも、それでいいんです。
別れ行く人に、最後の場面で傷つける必要はないのです。
だから、別れは嘘をついても構わないとは言いませんが、別れは本音を言えないものだという事です。
まして不倫をする当事者にとれば、正直な事を言って別れられるはずがない。
夫に浮気をされた妻に取れば、「何故?本当の事を言って別れてこないの?」となぜなぜと思っても
本当の事なんて言えない・・・・そういうものなのです。
でも、もし嘘を付いてでも夫が別れてきてくれたら、ラッキーですが、なかなかそこまでして妻の方を向くという夫はあまりいない。
まして、夫婦関係が浮気をする以前から、悪化していたら、浮気がばれたくらいで、妻に誠実に向き合うはずはない。
凄い現実的な話をしますが、長年セックスもない生活に夫が戻りたいと思うはずがない。
それを、浮気をしたからという事だけを、あげつらって、悪い事したでしょ、とだから別れて来て、と言っても、始まってしまっているものを、終わらせる事って、倫理観を問うだけではむつかしい。
何故なら、人の道をそれた方が刺激的なんですから。そもそもそういう倫理を大事に考える人は不倫はしませんから、倫理よりも刺激が重要な人に、倫理観を押し付けても、馬の耳に念仏です。
あ、こんな風に書いてしまうと、如何にも倫活をする夫を擁護しているように思われますが、そうではありません。
ただ、浮気をする人の心のメカニズムを知ってもらうと、愛する浮気相手を傷つける事もしたくないし、
妻にばれちゃった以上、そう簡単にこれまでの様に会えなくなるから、どうしたら、この2つを上手くコントロールできるか?という事を、倫活夫は、頭の中で計算機のようにグルグル答えをはじき出しています。
そういう頭の中の事を想像もせず、妻が夫に別れておいで、と送り出した所で、そんな事は出来ないという事を分かって欲しいのです。
妻にばれたから、浮気を止めようというくらいの夫は、そもそも、浮気というより、魔が差したという軽度のものです。
半年も1年も前から不倫をしているケースの場合、妻に悪いという気持ちは少ないです。
そういう妻への後ろめたさがない夫が、自主的に自分から浮気相手に別れ話を出来るはずはないし、
そのくらいの長さの不倫なら、「これからどうやって妻の目を盗んで会えるか?」と浮気相手と会議をするだけです。
そんな中、携帯電話のやり取りを見えなくしたり、会う日を巧妙に打ち合わせしたり、今度はある種、不倫仲間という結束を作ってしまうのです。
「不倫が妻にばれたから別れる」と告げるだろうというのは 妻側の幻想です。
決して、そんな事では別れません。
この鉄則を理解したら、夫の「浮気相手と別れた」という言葉は、嘘だと気づくでしょう。
あ、ちなみに、イルカさんが和歌の話をしたついでにこんな事も言ってたなぁ。
夫の考えている事を推測するというのはいいけれど、推測と「探る」とは違うと言ってらっしゃいました。
今日は4月2日、エイプリルフールの翌日で「嘘」について、一杯書いたけれど今日のコラムは本音ですよ。
では、今日はここまで。