愚痴と相談の違い

村越真里子

村越真里子

テーマ:ムラコシズム、つぶやき

ある方の説です。
「相手を恨んだり憎んだりするのは自分で毒を飲んで相手が傷つくのを期待するもの。
傷を癒し、心を愛で満たすためにはどんな罪でも相手を許すべきである。
☆非常に難しい事とは思いますが。。。
許したことで憎しみと復讐心から逃れることができ、自由になり、心の平安を取り戻せる。
自分のために許す!許しは自分を癒し、自分に力を与えること。
人は自分が傷ついているとき、他人を傷つけようとするとのことです。」

・・・・なかなかどんな事でも相手を許すことなんて出来るほど私も人間できてない。
でも、こういう心がけでありたいとは思います。
努力が足りないと愚痴になります。
愚痴が出ると人や世の中を恨みたくなります。
私のところに相談される方も、「ただ聞いて欲しくて・・・・」という方がいます。
別にそれでも私は構わないのですが ただ聞くだけで費用を頂くのは申し訳ないし、
それでいいのだろうか?と思ってしまうのです。
と、いうことで今日は 愚痴と相談の違いを考えてみましょう。
さ、そこで愚痴と相談の違いは何でしょう?何が違うのでしょうか?

愚痴は先に書きました、ただ聞いてもらいたいだけというと、語弊があるかもしれませんが、愚痴は共感を得たいという事です。

それに対し、相談とは答えが欲しいということです。この段階で聞いてもらいたいという愚痴はアウトプットで
答えが欲しいというのはアクションという 一歩、足が出ています。

本当の意味で解決を望まれる方は 相談という形を取られます。
その上で回答者の答えにもよるのですが、それが相談者とマッチするかどうかの相性はあります。

でも基本的に 具体的に解決策を望む方は、次への段階への心の準備がなされています。
しかし、答えを聞いて、次への階段を登れない人は こう言います。
「また、考えてみます」と。

もちろん 具体策と言っても当人がアクションを起こせるかどうか、その事柄にもよりますが
覚悟が足りないか、まだ間に合ってない方は「また考えてみます」ということになります。

この場合は やはり実際にアクションを起こすことより、心の持ちようとか、夫への心の訴えとかをしたいと
望んでいる人であり、要するに、「心」のコミュニケーションで、物事を解決したいと望み、尚且つ、そういう事での解決方法にしか、
取り組めないという限定をされているのです。

と、いうことは もう少し掘り下げると 相談の窓口を叩きながら、自分は解決という具体策を望んでいるのではなく、
夫との心あるコミュニケーションを望んでいると言うことになります。
つまりコミュニケーションが解決方法の手段というより、コミュニケーションが目的になってしまっています。

これには これまでの冷たい関係を脱却したいという望みがあることは理解できますが、コミュニケーションは成果です。
つまり問題の核を取り払った後に、成果として現れる結果であり、それを手段としてしまっては、そこに至る努力をすっとばしての
話になってしまいます。

大学に受かり、青春を謳歌したい人は その前に苦しい受験があるのです。
人は遊んでいても、自分は辛い受験勉強をしないと、楽しい大学ライフは得られないのです。

世の中には、共白髪まで円満な夫婦はいます。
でも、その夫婦にしても夫婦関係をとても円滑に運ぶ能力に長けているのではありません。
何も努力なしで そこまで来られた訳ではないと思うのです。
絶対に他人には解らない努力をされた賜物だと思います。

これまで 相談者の妻が何もしてこなかったとは言いませんが、今ある結果が
望まぬ結果だとしたら、それは方法が間違っていたのかもしれません。
受験勉強もそれと一緒で、不合格だったのなら勉強の仕方が間違っていたのでは?と
疑ってみてもいいかもしれません。

当方への相談者の中で多かったのが、ご主人に対しての抗議の仕方がよかったかどうかの検証も必要です。
結果として、うまくいってなかったとしたら これまでの方法はまずかったのかもしれません。

そして当方に相談を寄せて下さったとしたら、「良好なコミュニケーション」をと、言われても
それは努力した暁の事ですよ、と言いたい。

でも中には。具体的なアクションが必要と聞いたとたんに、「またゆっくり考えてみます」と言われます。

これは ある意味、アクションという事への拒絶反応のようなものです。
本当に解決を求めているので相談にきた時点でお尻に火は付いているはずですから、
それでも尻込みするということは その方法は望んでいないという事です。

もっと意地悪ないい方をすれば、苦労はせずに出来れば一足飛びに、夫と修復できたらという事もあるのでしょう。
でもね、今ある問題の原因がすべて奥様の成せる技とは言いませんが、これまでの夫婦の軋轢を聞いてみると、
割と言いたいことを言ってきたのではないかな?と思うのです。
そりゃ、好きなことを言ってきたら、成る物も成りません。

ローマは一夜にして成らず、で、夫婦も結婚したから夫婦になれるのではないのです。
夫婦という初めての体験は毎日が学びなのです。

大学の楽しいキャンパスライフも、一度で合格して得られる人は、その勉強と学力が実ったのでしょう。
でも、残念ながら、つまづいた人はもう一度浪人して、やり直せばいいのです。

ただ、そんな苦しい勉強はもう二度と嫌だから、すぐに大学に入れる裏口入学の方法を教えて、と
いう望みが、果たしていい結果をもたらすだろうか?と思ってしまうのです。

あなたが求めているのは結果だけなのです。
山頂に到達出来るには、山登りは苦しいものなのです。
ここを、すっとばして、ヘリコプターで山頂に着いたとしても、その時点で脚力は付いていません。

夫の浮気に苦しむ妻は、今の問題を解決しても、再び同じことがおきませんか?と不安を抱く方がいます。
でも一度でも自分の足で山を登ったことがあれば、脚力も備わっていますし、筋肉もついてます。
何なら、山の地図を見ることも、平気になって、怖いもの知らずとは言いませんが 経験があなたを強くします。

将来同じ問題が起きるかも?とただ、恐怖心を抱くのは 経験不足だからです。
一度でも山頂を体験していると、それが自信になります。

何も苦労をせずに、パラダイスな風景を見たいというのは わがままというものです。

もうこれ以上夫婦関係が悪化したくないから、何もしたくないというのは、これまでの方法が間違っていただけで
何もせずして、成功は得られません。

何も答えを求めずに、共感だけを求めるのなら、それは愚痴と同じです。
解決策を求めて、取り組む覚悟があるなら それは相談です。

相談を持ちかけられたら、当方はナビゲートしますよ。
と、いうことで 以上、今日のコラムは私の「愚痴」でした。

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村越真里子
専門家

村越真里子

Re婚かうんせらぴー

最優先は夫婦の危機回避。浮気問題解決と夫婦の関係修復は分けて考えまずは離婚を回避し、その上で夫婦の修復を図ります。行動心理学を基に、今後同じ問題が起きないように予防も含め対策を練るのが使命です。

村越真里子プロは朝日新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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