愛情のケチ
久々のコラム。
ちょっと 最近は「静」の時期でした。
物事を、少し距離を置いて考える時間を持っていました。
距離を置いて、見る・・・・・・これがまさしく、客観的ということです。
相談者が話して下さる妻から見た夫像。
その話して下さる内容で 私は、相談者の夫の大部分が理解でき、何なら話して下さっていないことまで言い当てます。
相談者は驚かれる事もあれば、全く知らない面だとして信じられないと言われる方もいます。
でも、何故、長年連れ添った妻よりも、数時間、話を聞いただけの私が会ってもいないご主人の事がわかるのでしょうか?
それは客観的という事よりも、先入観を入れないから、素のままの人物像を推測出来ます。
そう、これはいつも思うのですが、「夫が何を考えているか分からない」とよく言われますが、夫の発言をようく聞くと、意外と本音が言われている事に気づきます。
「夫が○○月になったら、家を出ていく」と言っていますと。
「離婚するかどうかより、まず一人になって考えたい」というのです。そして「何を考えているかさっぱりわかりません」という妻の疑問が逆に私には疑問です。
それまでは、夫の浮気を思わせる行動があって、それに腹を立てて幾度となく夫婦喧嘩を繰り返してきたというではありませんか。
その結果、家を出たい、一人になりたいというなら、そのままの解釈でいいと思います。
家を出たいというのは いつもいつも妻に帰宅時間の文句を言われ、休日も、仕事だと言って出勤しても、それを疑われるなら、いっそ一人になったほうが、誰にも文句言われずに済むということです。
そうなると夫は浮気がバレ、もう隠しきれなくなっているということですから、これ以上妻と一緒に住んでいると、浮気の尻尾を掴まれる事いなることを避けたい、これが一番の答えです。
それなのに、妻である相談者は「何故何故」と疑問ばかりをぶつけるのは。夫の言葉を聞いていません。
もちろん、浮気中なんていう夫は中々いませんが、それ以外は、案外本音が見え隠れしています。
では何故妻は 同じ言語である日本語を理解出来ないのでしょうか?
それは理解できないのでは受け入れられないという事です。
そして、家族があり、家庭があるのに、何故ひとりになりたいというのか、妻の私ならそんなこと考えないのに、何故そんなことを考えるのでしょうか?という質問をされますが、その答えは 妻は夫ではないからです。
「私なら~こんなことしない」と思われるのですが、妻と夫の人格は別です。
夫婦は一緒に暮らしていて、分かり合えているように見えて、意外と何も見えていません。
中には妻は 自分の理想というフィルターを通して見ているものだから、妻の考え方が基準になってしまっている事があります。
そういう意味では一度自分のメガネを外して、「私なら」という考えをしないことです。
「私風」の考えをちょっと横においておいて、夫の言葉に耳を傾けて考えて見てください。