何故浮気を白状、謝罪できないか?
よく受ける質問に、「夫を許したとしてもその後夫婦はうまく行きますか」というのがあります。
これは、とても一言でおこたえ出来るほど、簡単ではありません。
つまり夫婦がもともとどんな状態であったか?ということが根底にあり、たとえ浮気がきっかけであっても夫婦喧嘩の理由が、それだけだったとしたら、浮気問題が収まれば、元の夫婦に戻れる可能性は大ですが、そもそもそれ以外の問題でぶつかってばかりいた夫婦であれば、その元の状態に戻るだけということになります。
それでも、元に戻れるなら、まだマシで、そこから修復に取り掛かればいいのであって、いろんな事を頭の中で
考えるだけで、何もアクションを起こせないなら、今のままなら、まだしも、最悪離婚へ向かってしまうことになるなら、急がないといけません。
でも、この「急ぐ」ということがとても今後の方向性を決めることにもなりますので、むやみに急ぐ事も良し悪しです。
そこで 今回のコラムのタイトルにあるように、「許す」という事を、バタバタした中で選択してしまいます。
夫の浮気を妻が許す・・・・・これは一見、夫婦修復の一歩のように思いますが、実はあらゆるものに目を瞑るということを、許すと勘違いしがちです。
しかし夫の浮気後、許さないと家庭に流れている重苦しい空気は晴れません。
だから、終わったことは、もう疑問を持たないという、畳み込むように、次へ目を向けようとするのです。
でも、これはある種、夫を失うかもしれないという不安と興奮状態が許すという事で山場を乗り越えようとするのですが、心から許すということではなく、許すことにより、残った問題に目を向けずに進むということになります。
では、本当に許してないとしたら?どういうことが起きるでしょうか?
それはある種の浮気事件が落ち着き、冷静になった時に、妻は自分が苦しかった事が、フラッシュバックします。
つまり許すと言ったのは、夫を奪還したくて言った言葉であり、本当に浮気事件を許せたわけではないのです。
だから時間が経つと、ふつふつと疑問や不安が再び湧き出してくるのです。
しかし、夫には「許す」と宣言してしまっているので、今更、そんな胸の内をいうわけにはいきません。
と、なるとどういう心境に陥るかと言うと、夫にやさしくされていないと感じるわけです。
もう少し詳しく言うと、夫を許した妻は、これまでの苦しみを夫が汲み取ってくれて、妻にやさしくしてくれるはずだと考えるようです。
でも、現実、夫はぶり返しのような妻の猜疑心にまでは付き合ってくれません。
それどころか、一旦許すと言ったのは妻の方だろうとばかりに、今の妻の気持ちには応えもしてくれません。
と、なると妻は再び夫の冷たさに、妻を愛していないんだわ、と感じ始めたり、もしかしたら浮気は本当に終わってないんだわ、と不安を覚えますが、それへの答えは、決して夫がくれるものではありません。
そこで、妻は許したはずなのに、それが何にもならなかったと、置いてけぼりになってしまいます。
要は許したというのは、ちっとも許してないじゃん、ということになります。
これは私が、どちらかにしなさいと言えるものではありません。
でも、客観的にみると、許したといいながら、信じられないと相談される方に、結局は許してないな、と感じる事が多々あります。
ということで、許すって、どういうことでしょうか?
それは少なくとも、二度と同じ事が起きては困るし、起こさないというご主人の約束が必要です。
その為には、許すと言った時点で、浮気が本当に終わっているということが担保されないといけません。
でも、「許したい」との焦りから、ここの確認を怠っていないかということです。
浮気相手とは、もう別れたという夫の言葉を信じるあまり、妻も許すということを交換条件のようにされてしまうこの取引。
シビアないい方ですが、夫婦間の約束事は取引のようなもの。
仕事でも、一旦契約したら、後になって、ゴタゴタ言うのはルール違反です。
もし、契約内容に後日、あれ?と思うことができても、そこに文句が言えないように、契約時にしっかり内容を把握しておかないといけません。
だから、一旦夫の事を信じると言った以上、信じるしかないのです。
これは夫の浮気について、何か思うことが起きても、過去の浮気は話をしないというような交換条件を
飲まないとはいけなくなります。
これが、「とりあえず許す」という正体です。
許すには、最低限その浮気が終わっているかどうかの確認が必要です。
ここを相談者にお尋ねすると、夫がそう言っていましたから、と答えられます。
ちょっと、待ってください・・・
そもそも、浮気をした本人の言葉を信じられる関係性まで、夫婦関係は戻ってないから苦しんでいるのですよね。
またご主人は、浮気を始めるときや、浮気をしている最中は、「浮気相手に会う」と告げていましたか?
それが浮気が終わった途端に、正直になってくれたらいいのですが、実はここはまだ少し、疑ってみるべき時期なのかもしれません。
しかし、浮気が発覚し、何らか、問い詰めた結果、「浮気をやめる」という言葉はにわかには信じられないというくらいの方が、普通です。
でも、それを信じるということで、その山を乗り越えようとしたとしたら?
それは、言い換えれば信じたのではなく、信じさせられたということも言えるのです。
と、いうことは許した、ということは、一見妻の方が大きな懐のように感じますが、本当は妻が現状に屈したような形になり、許したばっかりに、これから起きてくるかもしれない不安の揺り返しを
夫にも訴える事も出来ないということになります。
もっと言えば、許したつもりでも、本当は許しを乞うたという形になります。
非常に残念ないい方ですが、「許す」という上から目線のいい方ですが、実は許してもらっているような形になっていますし、許すと言いながら、本当はちっとも許してないと言えるのです。
だから私の所に寄せられる相談の中に、浮気後の夫を信じられません、とか。
浮気をした夫とどう接したらいいか?という質問を多く受ける中で、許すとか許さないという妻側の立場からことではなく、1にも2にも、本当にその浮気は、終わっているのか?
少なくともその根拠が「夫がそう言っていました」では 後日、また疑わしいと大騒ぎすることになるでしょう。
つまり、浮気問題が発覚した時に、とりあえず浮気は否定したはずです。
その同じ口から発せられる、「浮気は終わった」という言葉を信じるには、ややリサーチ不足です。
信じるということは そんな簡単なものではありません。
信じるとは、疑って疑って、石橋を叩いて確認し、その上でなお慎重にならないといけない物なのです。
信じると言ってしまう方が、実は簡単です。
でも、そこを早く通り抜けたかったら、真偽の程に拘って、物事をややこしくするよりは、信じてしまったほうが話は早い。
だから信じたということは、ある意味、白旗を上げたということになります。
こんなふうに書いてしまうと、村越は揉めさせたり、夫婦でいながら簡単に信じるなと、言っているように思う人もいると思いますが、そんな喧嘩腰の勇ましいことではありません。
むしろ信じるという事の方が平和な仮面を来ているが、問題を先送りにしただけということに気づいて欲しいのです。
信じるということはそんなに簡単にできるものではありません。
まして一度、妻を裏切った夫を、すぐに信じるほうが 私にすれば驚きです。
ですが、急いで信じたならそれなりの弊害も起きてくることもあるということです。
許すということは、実は妻が「こんな苦しい状態から開放して」という「堪忍して」という言葉と同意語だということを、知ってください。
許すは、許さないと同じくらい、実は夫を信じていないという状態が起きてきます。
では今日はここまで。