家事分担について

村越真里子

村越真里子

テーマ:ムラコシズム、つぶやき

家庭のルールブック
長年連れ添った夫婦に「夫婦を続ける秘訣は?」と聞くと、相手を尊重することとか、思いやりとかと述べられます。
では、残念ながら、長く夫婦を続けられなかった人のレポートがあるかといいますと、その理由はそれぞれ過ぎて集計が取れないというか、幸せな発言は正直に云えますが、離婚の事を語るには、言葉に困るのでしょうね。
よく言われる言葉にこんなのがあります。
幸せの形は、どれも一様に似通っているが 不幸な形は、数え切れない程多様である。

さて、今日の話題は妻の誤解ということですが、すべての妻に言えるのではなく、夫婦関係が悪くなって行った妻に対して、こういう傾向がありませんか?という事について書いて行きます。
よく、妻が望む事に、夫婦が対等で、どちらかが依存するのではなく、お互いを支えあうということを言われます。例えばこの考え方をA理論と名付けたとします。
しかし、夫婦が上手く機能しなくなる時には、この反対の事が起きるかというと、そうではなく、
むしろ、妻が望むこのA理論が逆に災いするというか邪魔になることがあるのです。
つまり、A理論は、一見格好いいし、独立した大人の意見のように感じますが、実はこういう事を考え出す時には、夫婦に溝が生じているケースが多々あります。
それゆえに夫に対して甘えられなかったり、夫を頼ることに遠慮や強がりが出ている場合があるのです。
夫を宛にして、撥ね付けられた時の為に 最初からお互いに依存をしなければ傷つかないでしょ、という半ば意地っ張りが言わせている言葉になります。
でも実際に長年連れ添った夫婦が成功している部分はというと、やはりこういうお互いの自立心ではあるのですが、そういう夫婦はあえてA理論を意識せずに実行してきた結果です。
しかしA理論を口に出して、宣言して実行しているとしたら、それはもう水臭い状態が生じているということです。
つまり、夫婦が協力し合ったり、頼りあったりということは、ルールの中で行うことではなく、もっと自然な中で、お互いが無意識に行っているということが素敵な事です。
こういうA理論をルールのように掲げ、実行しているとしたら、もしそれが実行できなくなった時に、
そこには罰則的な考えが出てきたり、相手へのルールを守る気がないのは 愛情の欠落というような
努力の無さを愛情の無さのように、バロメーターにしがちです。
こういう考え方こそ、夫婦関係を益々悪化させていくことになります。
これを負のスパイラルという風に私は読んでいます。
これは女性特有の考え方なのですが、勝手に○○は、○○だというように、方程式をつくり、それにはずれた結果は、○○だという答えまで決めつけています。
その結果、これだけ一生懸命ルールを私が守っているのに、あなたは・・・・という風に勝手に決めて勝手に失望しているという事が言えます。
女性は愛情をバロメーターにしがちです。
家事を協力するも、愛情があれば出来るだろうというバロメーターの計りにかけているので、しないということは妻に対して愛情を持ってないんだわ、という考え方をします。そこでなるべくルールを守ろうと、お互いに約束を新たにし、ルールを確認しあうのですが、これを夫が守ってくれなかったら、今度は罰則のようなルールを作ってしまいます。
夫の愛情を推し量れなくなった場合に余計に、ルールを愛情に置き換えるという考えが生じます。
これ自身が、ある意味、本当の愛情が通わなくなったから、ルールを守ってくれている内は安心するということを自分に言い聞かせているということになります。
もう少し、具体的に言うと、家事分担というルールです。
普通、共働きの場合、どちらか早く帰ってきたりする日を夕飯作りに担当させたり、料理が出来ない夫の場合は、掃除洗濯を担当させたりしますが、どちらかが相手に不満を持ち出すと、順当に家に帰るのを避けるようになります。
そうなると、決めていた家事を疎かにすることになり、そのことで喧嘩が絶えなくなることもあります。
そこで、本当に考えないといけないのは何故、帰宅がそんなに遅いのかということですが 本当に仕事で遅くなっているとしたら、それはもう、様子でわかります。
しかし、何らか仕事を口実に残業だ、付き合いだと言って帰宅が遅くなったり休日出勤をしだしたりして、家にいることを避け出すようになります。
これの根本的な事を話し合わないといけないのに、ここを避け、単に家事分担を疎かにしているということの表面的な話をする為、守るためのルールというのが更に加算されていきます。
こうして相手の気持ちを確保できなくなったと感じると、役割分担のルールや時間的なものでしばり
如何に、家に居る目的を自覚させたり、一緒にいる時間をルールとして確保したがります。
こういう状態が起きてきている段階で夫婦には危険信号なのだと気づかないといけないのです。
そしてもう一つ言うなれば、これは「家事考」という分野の考え方ですが女性なら家事ができて当然で 妻が家事を得意とするというのは男性の決めつけでもあるのですが、実は妻という立場になったからには、それが出来ないと失格という負い目を感じる事があるようです。
そういう場合は夫にも、家事の分担を課せることで、夫婦が平等と思いたがるのですが、これこそが妻の負い目から、プレッシャーの跳ね除け的な考え方と言えます。
もちろん共働きで妻ばかりが家事を分担するとしたら重労働で病気になってしまいます。
今回のスザンヌさんの離婚の理由として、家事や育児でいっぱいいっぱいになっていて、それで離婚になるなら、家事も育児も手抜きをしたほうがましという考え方になります。
ではそんな時に、何故夫にもっと甘えられなかったかということになりますが、これこそが、そういう関係性で無くなっているからということが言えます。
頼ればいいのです。
もっと甘えたらいいのです。
それで、掃除が行き届かなかったら、家は散らかっていてもいいのです。
なのに、夫にも家事分担を課せ、妻も家事をこなし、どちらかが努力をしているか、なんて競争をしても意味がありません。
私も若い頃、自分であれもしなければ、これもしなければ、と自分で勝手に自分をしばり、夫はどうせ手伝ってくれないから、と自分で空回りしていました。
今、私はひとり暮らしで、自由に時間もあります。
正直に言うと、それなのに、掃除はあまりしていません。
家族4人でいた時の方がいくらか部屋は綺麗でした。
つまり、今は誰にも見せるものでもないので、そんなにマメに掃除もしなくなりました。
それなのに結婚していた当時は家族の為と言いながら、一人でいっぱいいっぱいになり、空回りして一人で腹を立て、片肘を張っていたように思います。
自分の意地で夫に頼ることもできず、かと言って、ダメ出しをされるのが嫌で、なるべく完璧に家事をこなしたいと考えていましたが、いまにして思うと、元夫はそこまでは望んでいなかったと思います。
そんなに家事がしんどいなら、掃除もしなくてもいいし外食だって良かったはずです。
でもそういう時は夫にも、あまり外で遊ばないで欲しいとか、お金を使わないで欲しいとか、外泊はしないで欲しいと要求というルールを作っていましたから、私は自分に課せられたルールを自分が破るわけにはいかなかったのです。
一人で決めて一人で空回りして、一人でぷりぷり怒っていました。
そうなると、夫に頼る事は益々できなくなりますし、甘えるなんて、そんなじゃらじゃらしたことは
できないと考えていました
何も甘えるとは、お色気を使うことでもないのですが、本音を晒すことができなくなっていたということです。
一言、手伝ってとか、私、できないと言えば済むことなのに、それが言えない関係性。
それこそが本当の問題だったのだと今なら、わかります。
すべてが私と同じケースとは思いません。
しかし、ちょっと斜めから今の問題を見てみませんか?
妻として頑張っている人がいます。
家事も完璧にこなし、休日も休むこともしない妻に対して夫はやすらぎを感じるでしょうか?
「私はこんなに頑張っているのに」という言葉は、2人だけが向き合って言う時には相手が頑張ってないというのと同意語です。
私が頑張っているという言葉は、自己主張ではなく相手を責めている言葉なのです。
もっと言えば、お互いが同じく頑張れるわけではないのです。
それなのに、同じくらい頑張らないと、私ばかりが損をしているような気分になるのです。
そうです、「私ばっかり」という考え方は努力を損得で考えてしまっているのです。
いいじゃないですか。
昔から、古今東西、女性は損をするものです。
男性と同じようなことはできません。
だから、男性の方がお給料を沢山もらえるという日本企業のあり方があるのです。
そして、これは私だけの観点かもしれませんが、「家事を夫にも手伝ってほしいし、私は頑張っている」という妻ほど、本当は家事が苦手だったりするのです。
本当に家事も料理も出来る女性は、むしろ、自分でさっさっとやるほうがいいのです。
夫に家事を任せても時間がかかるし、料理ならたいそうです。
そんなことで夫にガタガタいう内に、家事も料理も妻がやってしまう方が、早いのです。
それを夫にも分担させて、それを守ってくれないと文句をいう妻は、本当は家事をしたくないのです。
もちろん、家事が得意な女性が、家事が好きかというと、そうでもありません。
共働きの場合、帰宅してからはソファーにぐったりしたいので、出来たら料理が目の前に運ばれてくるのが望ましい。
でもしないといけないと腹をくくっているからさっさと出来るのですし、やれば苦手でなければさっさと出来ます。
でも、本当は料理が苦手な妻の場合は、もう自分の努力を夫が分かってくれないというように変なところに考えが行ってしまっているので、夫はどれだけ努力をしているのかという観察をし出します。
つまり努力合戦のような競争が生まれているのです。
と、なると競争相手に、頼ったり、甘えたりは余計にできなくなります。
しかし、よくよく考えると、夫はそれほど完璧に家を片付ける事を望んでませんし、料理もお腹が満たされたらいいというくらいです。
何も妻がそんなに真剣に考える必要はないのです。
要するに、夫に家事や料理や、育児を求めるのは、当たり前です。
忙しい日々、夫婦が協力しあって、家庭を守って行くことは大事な事です。
でも掃除や炊事を相手と分担して・・・・そして相手が出来ていないと腹を立てる妻は、本当は料理も苦手な人です。
それならば、いち早く苦手宣言をしたらいいのですが、自分にも家事のスケジュールを課せ、自分で自分の首を絞めてしまっているのです。
家などは、雨風しのげればいいのです。
雑誌に出てくるように綺麗に片付ける必要はないのです。
現に家事分担を強く言っている妻ほど、片づけか料理のどちらかが苦手ですし、意外と家は散らかっています。
家が整頓されている家庭ほど、そんなルールを作らずに、何気なく家事をこなしている妻がいます。
そういう風に考えると、家事分担のルールは部屋をきれいに保つものであっても、実は家族の関係を保てなくなる場合があるのです。
妻の家事分担のルールブックは、本当は妻が家事苦手な事を表に出せない
そうなると、家なんてちらかっていてもいいじゃないか、です。
それを夫から何か言われたら、その時、「じゃ、あなたやってよ、私は掃除が得意じゃないから」と言えるくらいのぶっちゃけた夫婦でいてほしいと思います。
意地も勝負も必要ないです。
では、今日はここまで。

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村越真里子
専門家

村越真里子

Re婚かうんせらぴー

最優先は夫婦の危機回避。浮気問題解決と夫婦の関係修復は分けて考えまずは離婚を回避し、その上で夫婦の修復を図ります。行動心理学を基に、今後同じ問題が起きないように予防も含め対策を練るのが使命です。

村越真里子プロは朝日新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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