似非(えせ)夫婦修復
私の表現が下手で、少し誤解を与えているな~と感じることがあります。
夫の浮気に対して、真実を受け止め、解決して行きましょうと言う提案は、読む人(され妻)には夫に喧嘩腰になると言う風に捉える人がいます。
つまり事実を突き止め、そして夫に突きつける・・・・そういう事ではないのです。
むしろ、そんな事はこれまでの妻のスタイルだったのではありませんか?
夫に事実を突きつけても夫との関係性は悪化するばかり・・・・確かにこんな事を繰り返しても何も変わらないと思うのです。
でも、浮気問題を横に置いて、夫婦修復を先にしたいと思うのも間違っているのです。
要は、今の疲弊した関係性にもう失望しているから、何とか夫婦仲を修復したいと考えているため、
夫の浮気を止めさせようと、浮気の証拠を突きつけた所で、夫の心が益々遠のくと考える妻が多いのですが、それが誤解なのです。
今の関係性を改善したい。
よりを戻したいと思っているのに、夫に証拠をつきつけたら、余計に夫を怒らせてしまう。
だから、浮気がどうのこうのと言う前に、夫に嫌われないような妻になりたい。
「だって、夫が浮気をしたのは妻である私にも悪い所がいっぱいあったし・・・・」と妻も反省すべき点が沢山あるので、そこを改善しないといけない・・・・
この考え方もある意味正解ではありますが、妻が自分を反省して、いままでの態度を改めたら、夫の浮気が止むというより、妻に再び愛情を持って貰える・・・・・
この確率は、残念ながら非常に低い。
と、言うことは、妻がこれまでの事を反省し、妻が夫へ関心を持ち、優しくしたら、夫は戻って来てくれるというのは 妻の希望的観測に過ぎないのです。
何故なら、夫に対して、妻が「私も悪かったから、もう一度努力する私を見て」と言っても、
ほとんどの夫は「もう遅い」と口にします。
そして、妻のこれからの努力を信じないと言うのです。
ここまできたら、もう夫婦は決裂していると絶望的になります。
だからこそ、この段階で夫に証拠を突きつけることなんて、喧嘩を売っているようなものだから、益々溝が出来てしまう・・・・と不安になるようです。
でも、実はこれも妻の誤解。
妻が夫に心を砕いたら、夫が妻に愛情を戻してくれると考えるのは、それが一番の得策なのではなく、
夫に嫌われない方法は何かと考えたに過ぎません。
つまり、もう少し分析すると、この浮気問題は別として、夫にもっと優しくしたら、夫が心を戻してくれると信じているというより、自分も優しくするから、夫にも優しくしてというギブANDテイクを求めていると言うことですし、ここには「人は誠意で接すれば、必ず伝わる」という、五分五分理論を信じているからなのです。
したがって、浮気を止めてもらうにも、妻が変わるべしというのは、そういう平和的方法をとることが
夫婦修復だと信じているのと、妻が変わりたいと思っているから、その方法を取りたいという事です。
つまり、その方法は夫が望んだことではなく、その方法を妻が望んだという事です。
もし、妻が変わる事が一番の得策だと夫が考えているとしたら、夫の口から妻に変わって欲しいと言うはずです。
でも現実は妻が変わろうとしているのに、「もう遅い」と夫から終焉を告げられるのです。
悲しい言葉ですが、夫は妻に今更、変わって欲しくないのです。
いえ、変わってもらっては困るのです。
それは何故でしょう?
それは、夫はこの段階になると、何としても離婚いたどり着きたいという意思を持っています。
だから、妻が「私が変われるように努力する」と言うのは、夫の行く手を阻む事になるので、夫は望んでいうこととは違うという事です。
それでも、頑強に「暫く私の変わるところを見ていて」なんていうと、逆にそれが裏目に出ることがあります。
何故なら、夫が内心離婚の決意を強く持っていたら、妻が努力すると言えば、それに一度トライさせておいて、その結果、努力が足りないとダメ出しをされ、待てというから待ったがやっぱりダメだったという本当の切り捨てをされるのです。
こんな風に書くと、じゃ、妻は努力しても、何をしても、夫の浮気が強固であれば、もう解決しないのか、と絶望的になります。
ここからが大事なことですから、心をフラットにして、お読みください。
夫の気にいるような妻になろうとか、もっと夫に対して、女性としての接し方をしようと決意しても
それは、考え方が間違っているのです。
すでに、夫にはセクシーな関係の女性が存在するなら、同じ路線で勝負をしても、恐らく負けます。
だからと言って、夫に対して、「家庭に取って無くてはならない存在」といえば言うほど、家庭を捨てたくなります。
子供たちにとって、パパはかけがえのない存在だからと、正論を言っても、夫は父親ではなく「雄(♂)」なのです。
そういう事で離婚まで言い出している夫には、いくら言葉で説得しようと思っても、釈迦に説法です。
不倫は人の道に非ずで、倫理に外れたことです。
理性を失っているから、冷静でないのです。
その冷静でない夫に、説教は聞く耳持ちません。
悲しい現実ですが、今は妻の方を見ていません。
その妻が変わろうが、そのままであろうが、関係ないのです。
もし、ご主人が妻に対して、「本当はこんなところが嫌だった」と言ったとして、その後に続く言葉が重要です。
だから、変わって欲しいと夫が告げたのなら、まだしも、もし、「もう、遅い」と言うならば、本当は妻への不満と言うのが原因ではないと考えられます。
でも、妻にすれば、そこに一縷の望みを賭けたいと言うのが、妻の望みではあっても、それは夫の
望みではないので、ここで夫婦の思惑が交差していると言えるのです。
では何が原因かというと、それは夫婦の数だけ答えがありますから、ここでは述べるに至りません。
しかし、一つだけ断言できるとしたら、浮気が始まる原因は、夫婦の気持ちのスレ違いであっても、
一旦始まってしまった浮気を終わらせる事は原因をさかのぼっても意味がありません。
しかし、その原因も無視することもよくありません。
何故なら、もし浮気を終わらせた所で、依然として原因が、そこに鎮座していたら、また同じことがおきます。
従って、原因を反省したり、改めたりするのは、浮気問題が片付き、夫婦が今後やり直して行こうと、お互いの足並みが揃った時に、「ちなみに原因は・・・」と反省材料にするのはいいのです。
でも始まったものを終わらせる作業は別の作業だと言うことが言えます。
と、言うことで、これを読まれて思い当たるフシのある妻は、あまり自分ばかりを責める必要はありません。
どれだけ考えても、やはり浮気をする夫が一番悪いのです。
でも、悪いと言っても、別に責めたくないという妻の反省もよくわかります。
しかし、思考と対策は別だと言うことも御理解頂ければ、と願っています。
では、今日はここまで。