似非(えせ)夫婦修復
私はお喋りすることを生業としています。
人の人生にお節介ながら、アドバイスをしています。
考えれば、おこがましい話です。
私は一度離婚をしています。
なのに人の夫婦の問題に偉そうに口を出しています。
全く、そんな資格なんてないじゃないかと言われても仕方がない話です。
実際、今の私なら、もしかしたら離婚を回避する術くらいはあると思っています。
でも、私達夫婦が、崩壊していった時期には 私は平凡な主婦で、家庭を守るということしか、考えておらず
ノウハウなんてものは何もなく、自分の考え方が、すべての物差しでした。
でも、今になると、ものの見方が狭いと言うか、むしろ何も見ていなかったな~と思うのです。
どういう意味かと言うと、いつも希望的観測という物差しだったと言うことです。
自分の尺度で、物を考え「私だったら、こうする」とか「私なら、子供が居て家庭がある人が何んでこんな事できるの?」と、常に「私」という尺度が中心になり、考えの中心は、「~こうであってほしい」という願いばなりですから、願わないことは頭に浮かんでも、すぐさま自分でその考えを打ち消すのです。
ですから想定外の事は自分の中で消そうとするので、希望の範囲のことしか考えなくなります。
そういうことで、結局自分の望む形はくっきり見えなくても、「まさかこの私の人生に最悪のことが起きるはずがない」と言うように、現実逃避をしていました。
だから、今の私なら逃げずに立ち向かうことが出来ると思いますが、その時代には、夫婦問題解決の手立ては持ち合わせていなかったと言うことですから、離婚に至ったのだと思います。
さ、それで今日は何が言いたいかといいますと、相談に来られる方が異口同音にいわれることは私がたいてい経験済みの事ですから、解ってしまうので、心の中では、「皆まで言うな」じゃないですが、相談者が何を言わんとしているかが、解ってしまうのです。
だから それをそのまま放置していると、どういうことになるかも解ってしまうのです。
私のところには 色んな相談メールも来ますが、中には離婚をしている私に何が分かるの?という心配をされる方もいますが、今だから言えることがあります。
多分、離婚を避けることが出来るとしたら当時、何をすれば変わっていただろうかと思うと、恐らく「覚悟」だったと思うのです。
覚悟があれば、現実をみただろうし、逃げずに対策を練れたと思うのです。
結局、変な自信が「これだけ頑張っている私が、そんなひどい目に遭うはずがない」と言うように 自分を奮い立たせていましたし、知り合った頃の夫を思い出し「根本は優しい人なんだから、浮気ぐらいで家庭を捨てるはずがない」と、現実逃避をしていました。
それは、男というものは、浮気ぐらいはするものだけど、いつかは帰ってくるものという神話を信じていたということです。
本当はそんな昔話どおりの夫だろうかと、疑問を抱き始めているのに、その不安を打ち消すには、何か新しい努力をするより、昔ばなしを信じている方が楽だったのです。
そういう意味でその時代の私は事なかれ主義の生き方をしていました。
それが今では「あれでは上手く行かないはずだ」と自分にダメ出しをしているのです。
当方にお越しいただく相談者は何か、自発的に自分から動くことは、バカバカしいと思う方がいます。
確かに夫の浮気に苦しめられて、その上まだ、自分が努力をしないといけないなんて、割が合わないと不公平感をあらわにされます。
馬鹿らしくなるという気持ちはわかりますが、では、馬鹿らしいからもう離婚をしようと思うなら、別にもう努力の必要はありません。
その夫とそれでも、何とかうまくやっていきたいと思うから、当方へ相談にお越しになったとしたら、バカバカしいとか、メリットがあるとかの損得ではなく、必死だと思うのです。
それが本当に妻の自分ばかりが苦しんで割が合わないと思うなら、もうその世界から降りたらいいだけです。
しかし、それでも降りたくないと感じているわけですから、それなら 損だ得だとの考えは、外しておくしかないのです。
そういうことで、努力することは、もしかしたら結果に繋がらない不毛な努力になるかもしれません。
でも、努力ってそういうものでしょ?
私のような個人経営の人間は、いつも何か努力をし続けています。
でも、必ずしも結果が出ないこともあります。
努力ってそんなものです。
家族や夫婦も同じようなものだと思います。
必ずしも努力が叶うものでもありませんし、苦労したら必ず報われるなら、それこそ苦労はない。
みんな、どうなるか分からないけど、出来る限りの努力をしてみる。
それが人としての、当たり前のことです。
もし 私が努力して、120%仕事がうまくいくなら、すべてを賭けてでも成果を出せる所にいるでしょう。
でも、人生ってやってみないと解らないコトばかり。
特に家庭や夫婦などの人間関係などは、無償の愛、です。
見返りは期待したいところですが、そればかりが目標ではありません。
頑張ったけど、結果のでないことばかり。
でも、今の自分の立ち位置を確保したいなら、頑張るっきゃないのです。
宝くじを買って、必ず当たるなら、借金をしてでも宝くじを買い占めます。
宝くじはギャンブル性はありますが、発売数の全部買えば当たりますが、それではね~。
でも、ひとつだけ断言できるのは 買わないと当たりません。
だから私のところに来られる方も、100%成功する夫婦円満方法があるなら、取り組みたいという方がいますが
世の中、100%と断言できることは何もない、といいます。
でも 少なくとも、何かを努力した人は、しなかった人より、成功する可能性が高くなると断言します。
仕事は努力したからと言って、必ずしも成功している人ばかりじゃありません。
しかし、成功している人は、少なくとも失敗を繰り返して成功しています。
失敗は絶望ではなく、次への方法の学習だと思えば何も失敗を恐れることはない。
当方に、夫の浮気を阻止したら夫がご機嫌を損ない、妻に対して二度と愛情を抱かなくなるのでは?と
心配される妻がいます。
だから、今後の対策は、ひとつの失敗もしたくないから、一発で成功する方法はないかと問われます。
はっきり言います。
これまでのことが失敗だったと考えるなら、今後はうまく行く方法を考えましょう、と。
但し、これまでの失敗が多かったら、多いほど、成功率は低くなっています。
そういう失敗を繰り返しておきながら、だからこそ、もう失敗したくないとおもう気持ちはわかりますが、はっきり言います。
一発で夫婦関係が戻るような、画期的な方法なんてない。
でもこれまでの失敗を糧として、次の成功率を高める方法はあると。
人間は学習能力があるのです。
それなのに、これからは努力は怖くて出来ないし、したくない。
自分ばかりが馬鹿を見るような努力はしたくない。
これは、単なる横着者です。
夫婦関係がこじれに、こじれたのは、これまでの間違った対策のせいです。
それを軌道修正をしていこうというのが 私のお薦めするやり方ですが、一発で夫婦関係が修復できるなら
私は、今ごろノーベル平和賞を授与されているでしょう。
これまで失敗したからこそ、もう二度と失敗したくないという気持ちはよくわかりますが 失敗をしたくないというのと、二度と何もしたくないというのは横着です。
これまで失敗したからこそ、これからが「学び」の時なのです。
誰もが、これまでの努力に閉塞感を感じ、打開策を求めて来られますが、簡単ではないというくらいの覚悟は必要です。
誰もが、二度と苦しみたくないと思う気持ちはわかりますが、その苦しみは成果のない努力だったとしたら、
また新たなやり方を見つければいいだけです。
妻が間違っていたのではないのです。
解決の方法が間違っていたのです。
方法が間違っていたなら、別の方法をとればいいのです。
しかし、一度間違ったから、もう何かをするのは怖いというのは、それこそ間違っています。
怖いという感情は、失敗するのが怖いのではなく、自分が間違っていたと認めるのが怖いと言うこともあります。
夫の浮気を止めたら夫が逆ギレするのが怖いと考えていますが、だったら逆ギレされないようにすればいいのだし、何なら、逆ギレされてもその、夫の内心を知れば、何も怖くなくなります。
こうして、逆ギレさえも、妻の学習に出来るのです。
学習を恐れてはいけません。
学習をせずして、東大に合格したいと望んでも、合格しません。
東大受験は 何度も失敗して、合格するする人もいますし、まず受験勉強を嫌がっていては合格しません。
人は、手に入れたいものへは努力をするしかないのです。
一生懸命、受験勉強をしても、全員合格しないのは競争原理でいうと当たり前ですが、少なくとも、合格をした人は的確な学習の成果と言えるでしょう。
そういう事で 人間の織り成す問題には、奇をてらった新しい方法なんてありません。
現代的な、画期的なウルトラCをもとめて 来られる方がいますが、そんなものはありません。
自分で失敗だったと思うからこそ、その苦しみに疲れ、今度は一度で改善するような、「新薬」を求めて
当方のドアをノックされますが、人間にそんな一発で効果があるような薬は、それこそ危険ドラッグと一緒。
人間界には そんな一発でクルッと変わるような、物はない。
そういう覚悟が必要なんじゃないかな。
仕事と夫婦関係はよく似た部分がある書きました。
そういう意味で、仕事に関してのアドバイスの言葉がありますが、今日はそれをプレゼントして終わりにします。
下記をご参考に。
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あるマーケティング・コーチの名言です。
【答えはあなたの中にある。それどころか、あなた自身が答えなのだ。】
私達のものの見方は、思考の上に築かれていて、思考は基本的に言語に基づいています。
とすれば、「世界は●●なところだ」のような世界観や、「私って~だ」のような思い込みが、私たちが他の人と関わり、協力しあう能力を制約していることもありえます。それだけでなく、知る能力や理解する能力、さらには自分の身に起こることに責任を取る能力を制約していることもありえます。
ひょっとしたら穏やかな気分や幸せな気分まで制約しているかも知れません。
だとしたら、自分が世の中で経験する限界は、実は自分の物の見方が自分に課している限界だと言えるのではないでしょうか?
(「ハーバード流自分の限界を超える思考法」マリオ・アロンソ・ブッチ著より)
とすれば、現在直面している限界を超えるためには、自分の世界観や思い込みを変えれば、限界を限界でなくすることができるでしょう。
答えはあなたの中にあります。それどころか、あなた自身が答えなのです。