愛情のケチ
今日のテーマは「後ろめたさ」です。
私が日頃取り組んでいるのは夫婦の浮気問題です。
そこで 後ろめたさと書くと、当然浮気をした方だと思われるかと思いますが 実は逆です。
この後ろめたさという言葉は、浮気をされた方からよく聞く言葉です。
特に その言葉を発する場面は、「浮気をした方って後ろめたい気持ちはないかしら?」なんてことではありません。
実は、夫の浮気を疑い、その疑いを確認したくて、夫の携帯とか、お財布とかを見てしまった時の気持ちを私に伝えて頂く時に、ほぼ、全員の妻から発せられる言葉です。
「あの~良くない事だと分かっていますがメールを見ました」とか、
「してはいけないと分かっていながら夫のカバンの中を調べました」とかです。
夫の事を疑うことを「とても悪いこと」と考えていますし、夫の身辺調査をしたことを後悔しています。
夫を信じてはいけない?
夫を信じられなかった自分をとても責めていられます。
私はこう言う言葉を聞くととても奥様が可哀想になります。
そこで少し励ますように、「別にメールを見たことは悪いことではありませんよ」と慰めます。
つまりありもしない妄想で夫を疑い、メールなどを見た結果、何も疑わしいことが出てこなかったら
「あ~あらぬ疑いを掛けて悪かったな~」という気持ちになっても仕方がありませんが、何かご主人の言動に違和感を感じ、実際に疑わしい事が現れた場合、それを確認したくなるのは当然のことです。
それで、疑って、何も出てこなかったら、若干の後悔はあるとは思いますが、疑って調べた結果、
そこには真っ黒のケで、浮気相手との「逢いたい」とか「一緒に居たい」とかのラブラブメールが
出てきたら それは どちらが悪いことをしているかというと、やはり浮気をして、それを隠している側でしょう。
それなのに、浮気をされた側の方が、後ろめたさを感じ、反省しているのです。
よく、奥様の方から質問があります。
例えば、メールを読んで自分の夫と浮気をしている事を確信し、浮気相手の女性に別れてくれと直談判したいと言われます。
そして、慰謝料請求もしたいと言われます。
勇ましい事です。
そこで 私は逆に質問します。「相手の女性は素直にいうことを聞くと思いますか?」と。
その返事は「私なら払うと思います」
そう、「私なら」なのです。
夫を信じていたのに、信じられない浮気の疑いに苦しみ、やっとのことで勇気を奮って夫の携帯メールを見た妻がその「後ろめたさ」に自分を責めているような道徳心のある人が「私なら」と言っているのです。
そこで私がその妻にいつも言うのは「私と人は違います」です。
何ならその妻に、不倫はしますか?と訪ねます。
そうしたら 「そんなことはできない」と言われるのです。
そうです、人を苦しめるような浮気を自分は出来ない人なのです。
でも 夫の浮気相手は、恐らく妻子のある人と分かっていて、ちょっかいを出したり、出されたりという不倫を実行出来る人なのです。
そういう厚かましい?女性とは気の強さが違います。
その気の強い人が 「うちの夫と浮気をしているでしょ?だから慰謝料頂戴」と言って素直に
ハイというわけがない。
では 何故そういう人に直談判できると思いますか?という質問には 答えは「私なら実際浮気をしている事を突きつけられた事実を認めるしかないから」と言うことです。
ここでようく考えて下さいね。
相手は浮気と分かってやっているのです。
それを妻に事実を掴まれたと言っても、素直に罪を認めるわけがない。
逆に言えば そういう根性の座った人だから不倫が出来るのです。
普通の独身の女性なら 恋をする前に相手の男性が独身かどうかくらいリサーチします。
妻子があると分かっていながら付き合いっているとしたら そりゃもう、された側の妻と、した側の女性とは、もう人間性が違うのです。
ですから 妻が言う「私なら事実を突きつけられたら、認めて詫びる」というのですが 「私と相手」はそもそも別人格です。
結婚している人と知りながらも付き合う事が出来る人格と、夫を疑った事すら自分を責めている妻とは人格が別なのです。
私は長い間、この相談業をしていて、浮気をした側とされ側の両方の話を聞いてきましたが、「後ろめたさ」と言う言葉を聞くのは いつもされた側の奥様からばかりです。
時々、浮気終了させた後、した側の男性から、ぽろっと「嫁さんに悪いことをした」と反省の弁を聞くことはありますが、それは 終了後のもっと先で、直後なんて、反省どころかふてくされています。
そんなものです。
悪いことをした方っていうのが そんなにすぐに反省なんてしないのです。
人間の反省なんてものは自分に余裕が出たとき、振り返ってみて、やっと反省らしきものをするのですが、浮気をしたきっかけさえも、妻のせいにしているような夫が 妻に見つかったからといってすぐに
反省をするはずがない。
バツが悪くて、妻を反対に責めてくる夫は、「バレちゃった=反省」はしませんし、この反省は妻が
求めているだけのことで 本人は反省をするなんてまだまだ先の事です。
不倫の始まりは色んな形があります。
もしかしたら 浮気相手の女性だって、した側であるご主人の「おれは寂しい」という言葉に騙された犠牲者かもしれませんが それでも浮気は始まってしまったら、止められないのです。
でも、止められないという時点で、それはもう自己責任です。
不倫って、された側も辛いですが、した側もつらいものです。
それを実行出来る時点で 少なくとも され側の妻よりも気の強い?意志の強い人なのです。
そんな意志の強い浮気相手に、夫のメールを見たくらいで反省している妻が直談判して、何を言うのですか?
そこには 言えば分かってくれるという性善説の妻がいます。
人と自分は違うという点に立ち、相手の人格は自分と違うということを知ってください。
そして 夫のメールを見たくらいで自分を責めなくていいですよ。
だって、疑う余地のない人を疑ったのではなく、苦しんだ挙句、やっと勇気を奮って覗いたそのメールの中には、しっかり浮気の証拠がビンゴだったわけですから その疑いは間違ってなかったのです。
だから、そんなに悪いことをしたと思う必要はない。
何といっても悪いのは やはり浮気をした側なのですから。
不倫は 人の道に反します。
その人より 妻の方が悪いはずがない。
夫がメールを見た妻を責めるのは 話のすり替えで、責任逃れです。
された側が メールを見たことで後ろめたいなら、した側が反省を示してくれた後でも、いいのじゃないですか?
そんなに自分を責めることはない。
では今日はここまで。