話し合いの効能
浮気後の謝罪
私の所に相談に来られる本当の夫はどんな人?
妻が よく口にする言葉で「夫が何を考えているか分からない」という事があります。
そんな時に 私は「あなたから見るとご主人はどんな人ですか?」と尋ねると たいてい知り合った当初の「何事も一生懸命で、優しくて」とか「口は悪いけれど、または口は重たい人ですが誠実です」とか、若い頃のご主人の姿を思い浮かべて話されます。
確かに基本的な部分は人間は変わりません。
でも 今の夫の勝手な振る舞いや 誠意のない言葉という言動を考えると その基本的な部分は
何処にいってしまったんでしょう?というのが 妻の疑問です。
木を見て森を見ず ということわざがあります。
その意味は物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うことです。
今 起きている問題に翻弄され、そこに起因する本当の原因を解っていないという事があります。
これを夫婦問題に置き換えると 夫はそもそも、優しい人なのに 何故こんな事を言うのか?という思いがあります。
これは妻の少々、決めつけ論が根底にあり 森が見えなくしてしまっているという事があります。
決めつけ論とは 少々分かりにくいと思いますが 簡単に言うと 「私なら~こうする」という考え方です。
例えば 浮気の事を一つとっても 妻の考え方が邪魔になる事があります。
夫が浮気をして それを止めて欲しいと願うのは誰しも同じ。
でも ここで 夫に対しての話し合いをする時に 「何故、浮気をしたのか」という問いかけをします。これは妻に取れば 問いかけでも 確信犯?の夫にすれば 問い詰めです。
ですから 誤魔化したり、話し合いというテーブルに着く事を避けたり、どうかしたら逆切れし妻をいじめに掛ります。
「何故 夫は話し合いが出来ないのでしょう?」と考えます。
「家庭が大切なら話し合いは出来るはず」という考えの基に 「家族を大切に思うならせめて話し合いぐらいは出来るはず」という決めつけ?で妻は 話し合いを望みます。
でも、ここが妻の考えを覆してしまいますが そもそも 「家族を大切に思う」という事と「話し合いが出来る」という事はイコールではないのです。
そしてここで一番驚くかもしれませんが 家族を大切だったら 浮気を止められるはずという決めつけは そもそも誰が言ったの?という事です。
よく私というカウンセラーを探すときに検索のキーワードで「夫・浮気・白状」とか「謝罪・浮気止める」という言葉で 当方のホームページにたどり着かれます。
ここで悲しいお知らせがあります。
白状したからと言って浮気はやめません。
妻に謝罪したからと言っても その場を逃げ切りたいから とりあえず謝って妻の問い詰めをこれ以上させないと、防御が謝罪なのです。
もちろん そういう方ばかりじゃないです、誠実に謝罪し 浮気を止める夫はいます。
でも 謝罪はされたのに 現状が改善してないから 当方に相談に来られるという事から見ると、
その謝罪が形ばかりのもので 本物ではなかったという事になります。
では 何故謝罪が必要なのでしょうか?
本当の謝罪は、自分が許してほしいと願う事です。
しかし当方に来られる妻は 謝って欲しいという事が その謝罪を急がせている事になります。
では、何故謝罪してほしいか?
それは 謝罪イコール浮気を止めるという決めつけがあると言えます。
そしてもっと言えば夫の浮気に苦しんだ時間、コミュニケーションも出来ず 妻は寂しかったのです。
その寂しさを早く挽回するべく、謝罪をしてもらうという事に気持ちが近づくという期待が込められています。
しかし 先にも書いたように、その謝罪が夫からすれば 決して妻と気持ちを近づける物ではなく、
その場を通り抜ける為の 付け焼刃であったら、本当の意味で夫婦関係が戻るはずはないのです。
浮気を止めさせる・・・・・それは謝罪から。
この方程式は妻の発想です。
夫側からの 方程式は 浮気はやめたくない・・・・そうしたら 取り合えず謝罪をして妻の怒りのトゲを取っておくか。
そういう方程式の違いを妻は知らないのです。
何故なら 妻は不倫をした事がないから、その経験則から生まれる方程式なのです。
どれだけ転んでも不倫をする人のズルい心や 計算は読めないのです。
そして自分に置き換えると 「私なら 悪い事をしたら 謝って改める」という理論です。
とても、当然で正しいです。
でも そういう風に考える妻は決して、意識して人を裏切る事は出来ない人なのです。
だから 無意識にしろ裏切る様な事になったり人を傷つけたら 謝罪をするという考えはとてもまっとうなのですが これでは本当に浮気という罪を犯しちゃう人の心理は読めません。
私なら~こうする・・・という この「私」は 浮気をする事なんて考えられない私であり、「夫」と「妻と言う私」は全く 同じ方程式を持っていないのです。
つまり それぞれがまったく別の 方程式を書いてある教科書で授業を受けているようなもので
片や 算数の教科書を見ながら、相手は国語の教科書を見て 一つの教室にいるような物です。
誰も 離婚をしようと思って浮気をする夫はいません。
最初は 軽い気持ちなのです。
しかし その軽い期間を野放しにするあまり 離婚へと進んでしまうのです。
そうなると あまり綺麗ごとの理想論を言っている場合ですか?と問いたい。
浮気は一度始まってしまうと そんな簡単に止められるものではない。
謝罪をしただけで 止められるものではない。
もっと言えば 家庭がありながらその浮気に付き合わせている、相手女性にこそ 謝らないといけない場合だってあるのです。
浮気は妻に謝る物、という決めつけは誰の考えでしょうか?
夫からすれば こんな火遊びに付きあわせてごめんと浮気相手に謝りたいかもしれないのです。
こういう事を書くと夫の浮気に苦しむ妻からのクレームが来そうですが これが現実です。
浮気相手の女性に謝らないといけないなんて、何と無神経な・・・・と思うかもしれませんが
ご主人は浮気相手の女性すらも 騙している場合だってあるのです。
そうなれば 浮気がばれたら、妻に謝っている場合ではありません。
浮気相手の女性を何とかしないと 会社に言われたりするかもしれないという不倫夫がいるかもしれません。
どこかの水商売の独身ホステスなら 妻との離婚を匂わせ結婚を夢見させているかもしれないのです。
そうなると 下手すると妻と離婚をしないという事実が 浮気相手に知れてしまうと、死んでやるとかマンションから飛び降りてやるという事態になるかもしれないのです。
そしてら 浮気が妻にばれたら おおごとになるという事が予想され、何とか浮気相手にコンタクトを取って 浮気相手を大人しくさせたいという事にドキドキしています。
浮気をする夫という立ち場はこういう事なのです。
その立場は 浮気をしたことのない妻には分からない世界です。
つまり浮気夫は ばれた時点で 浮気相手を守るか、もしくはどうしたら妻にばれずに浮気を続けられるかを必死で考えていますし、気持ちは相手の方に全面的に向かっています。
浮気がばれたら→ 謝罪 →反省 →夫婦修復
こんな単純な事を妻は望んでいる場合じゃないでしょう。
浮気をする人の心理は しない人には多分解らないでしょう。
解らない人が 自分の方程式で問題を解こうとしても それは叶いません。
浮気の裏の裏まで 読むことが出来て 初めてその対策が取れます。
木を見て森を見ない・・・というより 森を見る目が視力が無いですよ、という事で 度数の合った
眼鏡を掛ける必要があります。
これからは秋に向かい 紅葉で落ち葉も綺麗なものです。
その足元の落ち葉にばかり気を取られていては 森という夫が見えて来ません。
夫の気持ちを知りたいと言う前に あなたの間違った方程式を 少し見直しませんか?
もう一つのことわざがあります。
彼を知り己を知れば百戦殆うからず
意味は相手を知り己を知り、敵についても味方についても情勢をしっかり把握していれば、幾度戦っても敗れることはないということ。
夫の事を解っているつもりでも それは妻の理論で解っていると思っているだけです。
本当の夫というより、浮気をする男性とは?という事を知る事で 本質が見えて来ます。
「私なら こう思う」の私の考えはこの際、あまり関係ないのかもしれません。
確かに家族の為に浮気はしてはなりません。
可愛い子供たちは パパが必要です。
パパもママもいる家庭で育てられなくてはいけません。
でもこれらすべて 理想の桃源郷であり もうすでに浮気をしちゃっている夫を引き戻す事にはなりません。
そういう意味で 謝罪させて、話し合いをしても 所詮「私はこう思う」のオンパレードでは、理論の押し付けで、これでは夫を遠ざけるだけにしかなりません。
夫は心の中で 「君と僕は違う」と思うだけで益々 夫婦の間の溝は深まるばかり。
理想論を唱えるだけの話し合いは意味がありません。
謝罪をされたって それが本物でなくては意味がありません。
どうか ここを解って下さいね、と日頃から妻側には口を酸っぱくして言っているのですが・・・
謝罪をして・・・・とお願いしているのは 妻であり お願いをしている時点で フェアーな夫婦関係は築けません。
もう一度 よく考えてみてくださいね、そんなに謝罪が必要か?と。
本当に謝罪をしたくなったら 夫の方から自然と謝罪の言葉が出ます。
謝罪は求めるものではありません。ましてそれが強要のように 問い詰めという話し合いの場から
起きた謝罪であれば それは自主的な反省には繋がりません。
本当に悪いと思ったら 反省をするだろう・…反省をしたら きっとやり直しの努力もするだろう・・・・・この理論は解りますが その謝罪が 強制されたものであれば?
ね、ここから間違いは起きると思いますよ。
では、今日はここまで。