浜ちゃんの浮気に見る別れの潮時
愛情のケチ
こんばんは。
私は今 独身です。
既婚後の 独身ですから 純粋に独身と呼ぶかどうかは疑問ですが とにかく独身です。
でも特に寂しくありません。
それは夫婦で、二人でいた時の孤独を知っているので 一人の孤独何て大したことはありません。
でも時々 結婚していた時の事を顧みることがあるのです。
私は愛情にケチだったと思うのです。
今 独りになって気が付いた事があります。
私はずーっと駆け引きをしていたんじゃないないかと・・・・・
何かしらいつも 愛情を求めるバロメーターにしていたように思うのです
「これだけ尽くしているのだから 同等のお返しをしてもらって当然」というように考えていたきらいがあります。
今にして思えば 若気のいたりですね。
つまり 同等の見返りをいつも求めていました。
それに対し 同等のお返しを貰えないと不満を募らせていました。
変な男女平等の時代に育ったものだから、変な平等意識があり 自分の努力は報われるべきと考えたり
愛情を掛ければ 同じくらいの愛情で返してもらうべきという「~してもらって当然」という刷り込みがありました。
そのせいか何か無意識に 自分の掛けた努力が報われて当然と言うような嫌な錯覚に陥っていました。
そうなると 夫の努力が 私の努力に相当するものかという 嫌なオーディションをしたような気がします。
そうです、私は元夫を いつも家庭人としてふさわしいか、私の努力と同等の努力をしているか、
いつも審査員になったような気持ちで審査していたのかもしれません。
その結果、確かに私の元夫は そのオーディションという選から落ちこぼれました。
お給料は入れないし まともに働かないし、大酒は飲むし、浮気はするし、嘘はつくし・・・・
悪い所ばかりを探していたと思うのです。
でも 今にして思うと 私が結婚したのは20歳そこら。
そんな高給取りを期待した訳でもないし、家庭人として安定した人生を約束してくれたものでもなかった訳です。
それなのに勝手に 家庭人とはこうあるべし、と基本像を描いてしまったのですよね。
それに反し、全然理想像と違う元夫に どんどん理想を押し付けて・・・・
その理想に応えてくれない元夫に どんどん失望してしまって・・・
その結果、私の理想像にそぐわない元夫に、私は意地悪をしていたのかな?
今日は 少し酔っぱらって コラムを書いています。今日はいつものマスターの所に行って一人飲みをしました。
そこは夕飯をいつも食べに行って 串カツが美味しい店です。
でも 今日は鱧の天ぷらがあったので それを揚げて貰いました。
鱧の天ぷらは 天つゆで頂きました。
沢山 天つゆが余りました。
そこで 私は 串カツの材料を見て、エビとシイタケとししとうと イカとを天ぷらに出来る?と
聞いたら 材料は一緒だから 出来るよ、という事で気軽に天ぷらにしてくれました。
「材料はあるから 何でも言ってね」・・・・・
施してもらう立場になって 初めて解るこの言葉の暖かさ。
私の結婚生活でこの言葉が何故言えなかったか・・・・
単純な言葉なのに、心が震えました。
私は料理は苦手ではありません、むしろ好きな方です。
食事で相手を喜ばせるなら 難しい作業ではありません。
それなのに 料理を作る事すら 私には相手の愛情のお返しを貰いたくなっていたのです。
だから 元夫に夕飯を作る事が とても押し付けがましくなっていたな、と今更ながら
思い出し反省したのです。
愛情欠乏症・・・・・
この言葉が今はしっくりきます。
相手に愛情を求めるあまり 私の愛情を出し惜しみしていたように思います。
今 結婚した息子たちの事を心配しています。
私は世の中で 純粋な愛情は 見返りを求めない愛情・・・
それは無償の愛です。
見返りを求めない 一方的な愛情、それは無償の愛です。
正直言って無償の愛は 今の私には親子の愛しかありません。
息子たちは親の期待を裏切る事なんて いくらでもあります。
こちらの掛けた愛情のお返しなんて 若いからするつもりもないだろうし 私も期待はしていません。
相手に期待もせず 見返りも求めず一方通行で愛情を注げる相手なんて 私には子供しかいません。
そういう意味で純粋な愛情って、計算なしの愛情って、親子の愛しかないのかな。
そういう意味で夫婦の愛という事では 私は答えを求めすぎたのかもしれません。
でも・…人間だから 誠意には応えて欲しいと思いますよね。
今。息子たちは 私に対して 思いやりをくれています。
親孝行までは行かないまでも 想ってくれています。
大したことはしてくれていませんが 私はそれでもいいのです。
例えば 好きな人と会う時が 「逢う」と言う字を使うように 思うという事は 想いという字とは少々違います。
私の息子たちは お金もない若い年代ですから 温泉につれていってくれたりという親孝行はできませんし、それは私も望んでいません。
特に費用を使うような事は無理でも想ってくれている・・・それだけでいいのです。
私は結婚生活をしている時は 元夫に対して 同じ材料があっても「何が食べたい?」と最後の方では聞いてやりもしなかったと思います、
少しの愛情を掛けるのはお金なんて要らないのに 私は以上にケチでした。
ギブアンドテイク・・・・
応えて欲しいと思う前に 駆け引き無しで 愛情を与えていたか・・・・
「何でも我儘言ってね」という愛情。
愛情はタダです、お金は要らないのに 出し惜しみして・・・私はケチだったな。
私の愛情分、ギブアンドテイクでお返しを求めすぎたな。
いいじゃん、一方通行で少しくらいサービス過剰でも 夫婦なら損してもいいのに・・・
そんな事を感じた今夜の居酒屋でした。
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