愛情のケチ
今や 2分14秒に1組の夫婦が離婚をしている時代です。
結婚式が在って、何故離婚式がないのか?という疑問に立ちあがり「離婚式」なるものをプロデュースする
寺井広樹氏が設定されたそうです。
2月29日は4年に1回、回ってくるうるう年で、それくらい離婚する夫婦の中でも円満離婚は少ないという意味でもあるそうです。
今日は、この離婚式というセレモ二―をしましょうという話しではありません。
夫婦が離婚に直面する時、どちらも同じくらいの思いで離婚を望むのかというと
そうではない事が殆どなのです。
つまりどちらかが離婚を望み、どちらかが離婚を拒否するか、もしくは離婚を迫られて
苦しむという図式が圧倒的に多いと言う事なのです。
日頃より夫婦喧嘩をしているならば「もうやってられない、離婚だ」と、言うやり取りもあり、
少しは心の準備や予想はあるのですが、中には急に離婚を言い渡され、とても受け止められなくて、当方へ相談に来られます。
要は、言い渡された離婚理由が「訳わかんない」と言う事です。
こういう方は、普通程度のいざこざはあっても離婚までは考えていないのに
パートナーから一方的に離婚を言い渡されます。
そして、100%自分でも善き夫、善き妻で無かった事も反省し、改め努力すると懇願しても
「もう遅い、信用できない」と頑として離婚だと言い張るばかり。
ここで大事なことは、「程度もん」と言う事です。
確かに人間は欠点もあります。
言われるまで気づかない間違いも犯しています。
でも、離婚をされるほど、酷い程度だったかと言う事です。
ここを自分でも酷かったという自覚が在る人は、この離婚宣言に、納得はできなくても
理解は出来ます。
しかし、どれだけ考えても、離婚をしないといけないほど、自分たち夫婦は危機だったかというと
そういう程度ではなかったな、という感覚が大事です。
つまり、離婚を一方的に言い渡されたとしたら、それを受け止める理由が思い当たらないとしたら
それこそが、文字通り一方的と言う事です。
この一方的という言葉には「自分勝手」という意味が含まれます。
要するに離婚理由に自分勝手と言う事があると、それを隠すために、相手を責めると言う事があります。
例えば、夫が妻に対して離婚を迫る理由は
1、子供にばかり目が行き僕に優しくない
2、僕の親と仲良くしない
3、子供を叱る妻の態度が怖い
4、僕の居場所がない、落ち着けない
5、縛られるのが嫌、自由が欲しい
こういう理由が多いのです。
これを私は取って付けた理由と呼んでいます。
特に3番について、それほど子供の事を思い、可愛いのに
何故子供を置いて離婚という手段を選ぶのか・・・・・
こういう府に落ちない事は、どこかに言葉に表せない何かがあると考えるべきです。
また妻から夫に離婚を迫る時によく言われること
1、自由が欲しい
2、優しくされるのが苦しい
3、家事分担をしてくれない
4、触られるのが嫌
5、もっと実家に帰りたい
ここでも表れるのが「自由が欲しい」です。
さあ、ここで考えてみましょう。
結婚をしていて、子供もいて、その上で自由が欲しいなら、それこそ家族会議をすればいいのです。
それなのにいきなり自由が欲しいと言われても納得できるものではありません。
ここはお互いが理解できない、相手には許してもらえない自由という、わがままが在ると考えられます。
こういう府に落ちない「府」の中身を解明し、見えていない事を見るように、角度を変えて考える事も大切です。
どう考えてみても、判らない事は「離婚するほどの問題か」という程度モンという秤を持ちましょう。
この程度モンという感覚は、どんな言葉より説得力を持ちます。
では今日はここまで。