ハワイアンジュエリーはモチーフごとに特別な意味がある?
ポリネシア人による発見から、クック上陸、カメハメハ大王の統治を経てカラカウア王、リリウオカラニ女王時代のハワイ王国滅亡、ハワイ共和国からアメリカとの合併と、時代ごとに統治した人物をベースにハワイの歴史をご紹介していきます。
ポリネシア人によるハワイの発見とキャプテンクックの上陸
元々、ハワイには定住している人間はいなかったと言われています。しかし14~15世紀頃を過ぎると、航海の技術を持ったポリネシア人たちが上陸し、定住するようになりました。
ハワイでは、ポリネシア人から受け継がれた自然信仰と独自の文化で人々が長い間暮らしてきましたが、1778年に、イギリス人のジェームス・クック(キャプテンクック)がハワイに上陸し、初めて異文化と接触することになりました。
ハワイの人々は当初、キャプテンクックを神だと思い歓迎しました。ハワイでは、神に祈りや感謝を伝える儀式があるほど信仰が深かったため、神が遂に姿を現したとなると、その喜びは、なおさらのことだったのではないでしょうか。
しかし、キャプテンクックが神ではなかったと知ると、ハワイの人たちは激怒し、キャプテンクックを処刑したのです。
ただこのキャプテンクックとの出会いが、ハワイと西洋をつなぐきっかけとなったのは確かであるといえるでしょう。
西洋との交流を経てカメハメハがハワイを統一
ハワイは多くの王によって支配され続けた国でしたが、1810年、ついにカメハメハ王がハワイを統一しました。
彼は西洋との交流を経て、近代的な武器と戦術を手に入れたことで、統一を果たしたのです。
カメハメハ王は原始的な争いを行っていたハワイの人々を圧倒し、ハワイの文化を変えていきました。
カメハメハ王朝は5代まで続きましたが、すべての代でハワイで古くから伝わっていた神話や信仰などを捨て、西洋との貿易を盛んに行い、西洋文明を経て近代化の道を積極的に取り入れていったのです。
カメハメハ王朝が途絶えた後は、選挙でウィリアム・ルナリロが王となり、翌年にはカラカウア王が王位を継承します。
このカラカウア王は生涯で二度王位に就き、歴代王の中でも知名度が高い王であると言われています。
カラカウア王とその妹、リリウオカラニ女王
カラカウア王は、カメハメハ時代に行っていたハワイの伝統文化廃止の政治方針を反省し、フラやサーフィンの文化復興と産業発展に力を尽くしました。
そんな彼は陽気な王様として、民からも人気のある王でした。
カラカウア王の死後は、妹のリリウオカラニが女王として即位しました。しかし、これを見てアメリカ軍は女王を軟禁し、自分たちの政権下に置いてしまうのです。実質これでハワイ王朝は滅亡し、アメリカの領土となってしまいます。
彼女は悲劇の女王ではありますが、ハワイアン文化においては永遠の女王としても知られています。
彼女は「アロハ・オエ」の作曲者としても有名です。
リリウオカラニ女王を軟禁した後、1894年にアメリカ人であるサンフォード・ドールを大統領とするハワイ共和国が設立されました。
それから4年後には、アメリカ連邦議会でハワイを併合することに決まり、ハワイは正式にアメリカの領土となったのです。
そして、1960年には、アメリカ国旗である星条旗にハワイが追加され、その星の総数が50個となったのです。
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◇文字を持たないハワイの文化
◇フラの歴史、禁止時代を経て現代へ