「旗は揺れるもの」と言うけれど・・・

転んでも何度でも立ち上がれ!?
打率10割のバッターを狙う人は間違いなく
完璧主義者だ。
しかし、どんな天才打者でも打率10割を
打つなんてことはあり得ない。
そもそも、野球選手で天才打者と言われる人
であっても打率は4割台だ。
しかも、シーズンを通して打率4割台をキープ
するわけだから凄いとしか言いようがない。
と言うことは、どんな天才バッターでも10回
打席にたって6回は失敗している計算になる。
ところで、私達は失敗する、人前で恥をかくと
いうことを必要以上に恐れる傾向があるように
感じる。
しかし、失敗することは決して悪いことでは
ありません。
なぜなら、少なくとも現実に行動を起こした
が故に、失敗した原因が存在するし、それを
突き止めることができるわけです。
そして、次に活かすことが可能なわけだ。
やってもいないのに頭の中でシミュレーション
して、失敗するイメージを連想してどんどん
膨らませるのとは話が全然違う。
さらに言えば、この思考パターンの怖いところは
負けグセ(習慣)になってしまうということだ。
負けグセ(失敗思考)になるとチャレンジ意欲が
軒並み減退して踏み出す勇気を削いでしまう。
別の言い方をすると決められない人になる可能性
が高いということだ。
しかも実際にやってもいないのに・・。
実際に行動を起こすときは何かを「決める」わけ
ですが、それには、2つあると思う。
AかBか二者択一で選ぶ場合、つまり選択です。
ただし、これはおおよその結果予想がつく
ようなものの場合です。
他方、もう一つの「決める」は結果が予想できない
もの、まだ誰もやったことのないものです。
成功するか?失敗するか?
実際にやってみないと分からないものの場合です。
実は「決める」ことにおいて、むしろ、こちらの
方が重要かつ多いのではないでしょうか?
例えば、一流大学を卒業してお笑いをやりたいと
決めたとしましょう。
おそらく周囲は、まず大反対するでしょう。
その実力からして大手企業や国家公務員を目指す
ことも可能だし、その能力も十分にある。
なんで、そんな無謀な道を好き好んで選ぶんだと
周りから言われることでしょう。
だからこそ、そんな時決断が必要なワケです。
両方の美味しいとこだけ摘まんで取るなんて
虫の良い話なんてないわけです。
一方を取れば、他方は捨てないければならない
わけです。
それぐらいの覚悟がないと成功は覚束ない。
誰しも人生において先が分からなくても決断を
しなければならない場面が何度かあるはずです。
そんな大事な場面で、負けグセ思考だったら
Ⅰ㎜も踏み出せないわけです。
その選択であれば、確かに失敗するリスクは
負わないでしょう。
しかし、それと同時に可能性の芽を自らから
潰していることに気づく必要があります。
決断に必要なことは、勇気です。
そして、決断の結果は、すべて自分が負うという
覚悟そのものです。
それこそが、自分で決める人生です。
誰かの振ったサイコロで人生を決められる
(サイコロ人生)なんてまっぴらごめんです。
だからと言って、サイコロ人生を決断したことを
否定することは誰にもできません。
なぜなら、結局それもまた自分が選んだ人生です
から・・・。
結論、どちらを選んでも良いんです。
ただし、自分の人生を自分で決めて生きたいと
考えるなら負けグセ思考なんて即刻捨てるべき
です。
最初の打率の話に戻せば普通の人は2割打てれば
上出来です。
ということは、10回のうち8回は失敗しても
いいってことです。
打席に立ち続ければ必ずチャンスは巡ってくる
はずですから。
今日打てなくても明日打てれば良いんです。
2割打者で十分です。
最後に勝つ人は、「たとえ転んでも、立ち上がり
再び前へ進む人です
そして、そういう闘いを貫いていけるかは、
その人の「心」いかんによるのです」



