朝10分の心のシャワーを
「私は、大した人間ではありません」
と自虐的に言ったとしても、正直、
心の内(自我)はゾワゾワします。
なぜなら、内心そう思っていない
からこそ、心(自我)が無意識に
信号を送るからです。
とは言え、大した人間ではないと
いう自覚がないわけでもありません。
だからこそ、尊敬される人間になろう
自分でない何者かになろうと藻掻く
わけです。
コインも紙も、表だけでは存在でき
ません。
表があれば、必ず裏があるように、
「●●●さんは、凄いですね
「さすが、●●●さんです」と表を
いくら賞賛されようと、その裏には、
「大したことがない自分」が見え
隠れしてしまうのです。
例えるなら、チェーンの切れた自転車
のペダルをいくら漕いでも、力なく
ただただ空回りし続けるに似てるわけ
です。
なので、いつになっても決して心が
満たされることはありません。
さすがの心(自我ちゃん)も疲れ
果ててしまいます。
そうならないためには、「私は大した
人間ではない」を自己卑下という意味
合いで無く、素直に心から受け入れて
しまうことです。
そうれば、心の中に巣くった檻から、
解放されることになるのです。
他の誰かになる必要はないのです。
安住の地は、他所ではなく“今ここ”に
あるんです。
だとすれば、”今ここ”に落ち着くことが
できれば、もうそれ以上、上がることも
下がることはないわけですもんね(笑)