物わかりの良さは時に深い毒を吐く
人生(の本質)は苦である。
これはお釈迦様も仰っています。
ただこの「苦」にも二種類あります。
それが「本物の苦」と「偽物の苦」です。
「本当の苦」とは、「やってくる苦しみ
との縁」のことです。
例えば、風邪で昨夜から熱が下がらず、
ほとんど寝ていない男性がいました。
正直、今日は休みたい。
でも今日は大切な会議がある。
だから絶対に出勤しなければならない。
そして、出勤しようと這うようにして
なんとか玄関のドアを開ける。
「ああ、しんどい!」あせる気持ちを
抑えつつなんとか無事会社に到着し、
資料を整理し会議の準備をしていると
・・。
そこに部下が声を掛けてきました。
「本日、部長が病欠で会議は来週に
延期なっただそうです」と。
「ががが、がーん」まさに泣き笑い
状態です。
「マジで!!」
こんな風に人間をやっている(生きて
いる)限り、苦の縁は避けようもなく
やってきます。
自分に非があるかないかなんて関係
ありません。
来るときは来るし、来ないときはこない。
「縁」自体に善し悪しがあるわけでもなく
それに計画できませんから仕方ありません。
だから、苦の縁が来なくなるなんてことは
残念ですがありません。
もちろん、人生同様ビジネスの世界でも
一緒です。
今まで何もなかったのに、想定外のリスクが
突然発生する可能性はあり得ます。
それに対して、万全の対策は無理だとしても、
できる限りのリスクを想定して、被害を最小
限度に留める準備をし続けるしかありません。
一方、「偽物の苦」というものあります。
それは、妄想が作り出す「苦」です。
妄想は、無限大ですからその苦しみにも
際限がありません。
妄想に囚われた人にとって、どこまでが事実で、
どこからが妄想なのか?
その境界線は、本人には分かりません。
そこが「偽物の苦」の最も恐ろしいところです。
安倍元首相を襲った犯人もまさにそうなのでは
ないでしょうか?
「私は絶対に正義だ!、全て悪いのは〇〇だ、
社会だ、etc」
それを証明するために奴の悪行の数々を
みんなに知ってもらう必要があると思い
込むわけです。
そして、最悪犯行に及ぶわけです。
この正義&被害者の最強コンビは恐ろしい
ほどのパワーを炸裂させます。
本来、事実と妄想の区別が分かれば、
本当の苦を受け入れ、偽物の苦は相手に
する必要がありません。
何かのストレス(苦)が降りかかることで、
それを上手く処理できるかできないかで
増大させたり、軽減することもできるはず
です。
ストレスを感じたら自我に次の質問をして
みるといいでしょう。
「それは本当に事実なのか?」と。