組織に潜む猛毒とは?
未熟である事を尊べ
「未熟だね」と言われたらどんな
気持ちになるだろうか?
「嬉しい」まさかそんな人はいない
だろう。
正直、事実そうであったとしても、
面と向かって言われて気持ちよく
なる人はいないだろう。
というか、むしろ「ムッと」する
のでは?
なぜなら、そもそも何か自分が否定
されたような心持ちになるからでは
ないだろうか。
だが、違う見方をすれば、まだまだ
成長の可能性があるという一面も
無視できない。
つまり、有り体に言えば、
「伸びしろがある」ということだ。
未熟とは、成熟していない自己意識
未熟とは、「成熟していない自己意識」
とも言えるだろう。
それは、自己開示が弱い又はできてない
という言い方もできるだろう。
「オレは、悟った」本当に?
世の中には、「オレは悟った」と
「さも完成された人間」かのように
喧伝する人もいる。
そもそも悟りの境地は、修行もせず、
そんなに簡単に手に入れられるもの
なのでしょうか?
何十年も厳しい修行している禅僧でさえ
一生のうちに悟れるかどうかわからない
と言うのに。
あまつさえ修行も禄にしていない普通の
人が悟りなんて言うこと自体憚れると
いっても過言ではないでしょう。
正直、そういう人は、端から見れば
「無知の極み」なのかもしれません?
どんなに人より秀でても、それを日々
実感していたとしても
普通の人が、「悟った」と言った瞬間
自分の器(成長)にピリオドを打つ行為
に等しいのではないでしょうか。
つまり、「自らを枯らしめる行為」では
ないかと思いのです。
目指すは、「永遠の未熟者」
一方、「死ぬまで人は成長する」という
考え方に立てば、成長の到達する点は、
人生の終わる時点ということになる。
だとすれば、「永遠の未熟者」である
ことは、存外悪くないことと言える
のではないでしょうか?