私たちは、自分が使う言葉でできている
「◯◯な場合は、どう伝えたらいいですか?」
コミュニケーション研修講師をしていて、よくされる質問です。
さらには、
デイサービスで研修させていただくと、
「帰宅願望の強い認知症利用者にはどう言えば、おとなしくしてもらえますか?」
もよくある質問です。
前者と後者では、質問の意図が違うんですが、
前者では、「◯◯な場合」というようなグルーピングをまず手放すこと。
伝えたいのであれば、相手がいるはずです。
その相手は、一人一人性格も考え方も、価値観も違います。
もっと言えば、同じ人でも、上機嫌の時もあれば、虫の居所が悪い時もあります。
なのに、決まった伝え方パターンで、一様に伝わるはずはありません。
また、後者については、
「おとなしくしててもらいたい」というスタッフさんの気持ちはわかります。
ただでさえ人手が足りない、時間が足りない、という中で、「帰りたい」と何度も何度も言われて対応していたら、どんどん業務が遅れていきますよね。
ただ、スタッフのみなさんに思いがあるように、その利用者さんにも思いがあります。
認知症利用者というグルーピングをされて、帰宅願望という周辺症状とラベリングされてしまう、その利用者さんも一個人として、思いがあります。
その思いに寄り添ってみて。
昔々、私が一現場スタッフだった頃、アルツハイマーの利用者さんがいらっしゃいました。
かなり進んでいて、もう言葉も通じない。
少しもじっとしていることがなく、常に事業所内を歩き回り、外に出ようとされる。
同僚や先輩は皆、その利用者さんが歩き始めたら、言葉をかけたり、はたまたほぼ無理矢理にでも座らせようとする。
座っても、またすぐに立ち上がり、歩き出す。
その繰り返し。
私はどうしていたかというと、
その利用者さんが歩き始めたら、何も言わず一緒に歩いていました。
同じ姿勢、同じ視線で、言葉になっていない言葉を同じように発して。
完全にその利用者さんと同じ世界観で行動しました。
そうしていると、ときどき私に何か話しかけてくる。
何を言っているのかわからないんですが、同じような雰囲気でそれに答える。
しばらく一緒に歩き回って、今度は私から話しかける。
言葉ではなく、なんとなく同じような雰囲気で、自分の膝を指差して、「足が疲れたからそろそろ座りたい」という感じで伝えてみた。
すると、私を気遣ってくれるような感じで、一緒にソファーに向かい、私に寄り添って一緒に座ってくれた。
やりとりはすべて私のイメージなので、その利用者さんの本意はわかりません。
でも、決して遠く離れてはいないと思います。
このエピソードをどう受け取るかは、皆さん次第ですが、
少なくとも私は、
自分の価値観や事情で、「こうしてほしい」「こうしてくれないと困る」という接し方ではなく、
その利用者さんの価値観、世界観に寄り添い、同じ体験をすることで、穏やかな時間を過ごしてもらえたんではないかと思っています。
利用者さん一人一人違うのはもちろん、同僚上司部下も一人一人違います。
その中で、自分の「こうしてほしい」を押し付けるのでは関係は築けない。
どれだけ相手になりきって、相手に寄り添えるか、それが円滑なコミュニケーションの土台になります。