4つの「無」
私たちは、主観のかたまりです。
他人の言動や環境に対して、良いや悪いや、正しいや間違っているや、上や下やと、常に評価判断しています。
「間違いを指摘して何が悪い?」
と思いますよね?
悪くないですよ。
ただ、一つ確認したいのは、
「間違いを指摘する目的は?」
ということ。
間違いを指摘した結果、その間違いが改善され、組織の生産性が上がるとか、不具合がなくなり、物事がスムーズに進む、
という未来の実現に近づくのであれば、それでオッケー。
でも、何度指摘しても改善されず、
指摘する自分がイライラしたり、
相手がキレたり、落ち込んだり、全体の雰囲気が悪くなったりして、
生産性も上がらないどころか、逆に下がるとか、物事もスムーズに進まないのであれば、
指摘することはマイナスにしかならない。
それでも、指摘してしまうので、「主観のかたまり」なんです。
自身が、「それは間違い」だから指摘しないと気が済まない。
ときどき言われるんですが、
「◯◯さんが雰囲気を悪くしてるんで、注意してください」
と。
私は、いたしません。
注意したら、◯◯さんがどんな反応をするか、想像がつくから。
それにより、さらに雰囲気が悪くなるから。
とはいえ、それだけだと、注意してほしいと言っている人の納得感がない。
なので、注意してほしい側の話をとことん聴きます。
実は、「間違い」というのも、客観的指標がなければ、主観的「思い込み」の可能性だってあります。
それくらい、私たち人間は主観のかたまりなんだ、という自覚が必要だと思います。