桜の季節に想う ~ どんな寿命にも永遠はない ~
先日のことですが、70歳代後半の男性がご相談にお見えになりました。その男性は、『遺言書が大切なことはよく分かったし書いた方がいいことも十分理解できた。しかし、あまり早く書いてしまうと無駄になってしまうから、もう少しゆっくり考えたい』と仰ってお帰りになられました。
なるほど、財産状況は人が生きている以上絶え間なく刻々と変化するでしょう。また家族構成などもこれから五年あるいは十年と経つうちに変化していくことはどこの家庭にでも起こりうることかもしれません。そういう観点からすれば、遺言書はなるべく身の上に変化が起きなくなってから書いた方がいいのではないか、と考えてしまうことも決して分からなくはありません。
しかし、人間が生きていく以上、結果が保障されていることなどひとつとしてありません。スポーツや試験などは言うに及ばず、交通事故に合うかどうか、病気に罹るか等々人生において起こるかどうか確実なことなどないのです。だからこそ、多くの方は早いうちから生命保険や自動車保険に加入するなどしていつ起こるか、いや起こるかどうかさえも分からない不測の事態に備えているのではないでしょうか。
そう考えてみると、私たちは見通せない将来に不安を抱えながらも、日々を過ごしていく中で最善と思われる道を選びながら歩き続けなければならないことに気付かされます。日ごろの生活の中で、意識するとしないに関わらず、実は多くの意思決定をしながらも一歩ずつ前に進んでいる、言わば意思決定を積み重ねながら生きていかなければならないことになります。
話を元に戻して、私たちはいつ遺言書を書いたらいいのでしょうか。それは、あなたが『そろそろ考えておかなければ』と思った時が無二の好機であり、現時点におけるあなたの意思を正面から受け止めてくれる受任者にその想いを託すとともに、あなたの想いに寄り添いながらこの世を去るその日まで一緒に意思決定を重ね続けてくれる責任者を立てておくしかない、と私はこの数年の経験から断言できます。
おかげ様で私は、これまで多くの方の遺言書作成に関与させていただくことができました。まずは、私自身が42歳の時に書いた遺言書をお見せしたうえで、どんなことを遺言書に書いたらいいのかの内容のアドバイスから始まり、作成した遺言書の内容が確実に実現されるためにも必ず私が執行者として遺言書に一緒に名を連ねること、さらにはせっかく作成した遺言書が万一にも汚損や紛失されることのないように、必ず私がお預かりして厳重に保管してまいりました。作成の段階から10年先まで持続可能な責任対応をしているため、いまのところ遺言書の作り直しが必要となった方はひとりもいらっしゃらないのが私のささやかな自慢であり、これまで自らの人生を賭けて真剣に取り組んできた成果であると自負している次第です。
代表 加藤俊光が42歳の時に書いた想いを伝える遺言書を見てみたい! いますぐ まちなかステーションに相談する
これからも私は、この地域の高齢者を支える法律専門職として、ひとりでも多くの方に『ゆっくり急ぎながら』人生の仕舞い支度に踏み出すことの大切さを伝え続けていきます。