あなたが終末期に向きあうとき、私はあなたの隣で一緒に考えながら支え続ける法律専門職でありたい
自分さえよければそれでいい、そんな考え方をする人が増えていると感じるのは私だけでしょうか。
本来であれば、世の中の幸せの総数を増やすために様々な考え方に接して耳を傾けるのが政治の役割のはずですが、何しろ総理大臣からして自分と考え方の違う人の意見を一切聞こうともせず『見解の相違』のひとことで片づけてしまうのですから、人々の日常生活はギスギスして窮屈になってしまい心にゆとりがなくなってしまうのも無理のないことかもしれません。
そんなことが影響しているのでしょうか、ここ数年で私の事務所にも当事者の話し合いで速やかに円満に相続問題を解決できなくなっている方のご相談が急増しています。長引く不況や将来の先行き不安などで、人生でまとまった財産を手にする機会は相続くらいしかないという方が増えていることが最大の原因と考えられていますが、私は、それ以上に自分と考え方の違う人の意見を聞けない人が増えたことに原因があると考えています。
確かに、かつては家督相続を家族の絆の証として長男が全財産を相続することが当然という時代もありました。しかし、そんな時代はもうとっくに終わっています。親の医療や介護にかかる費用をはじめとする負担はもちろんですが、将来にわたるお寺とのお付き合いやお墓をどう守っていくかなど家族間にもさまざまな問題が山積しています。もはや、相続は財産を分配するだけでなく、相続人同士が負担や不利益をどう分け合うかということも避けられない時代になってきているのです。
相続が開始し、いざ誰が何を相続するかの話し合いを始めると、相続人のみなさんは異口同音に『自分の生活を守るだけで精一杯、とても負担など引き受けられない』、しかし一方で『権利があるのだから、もらえるものはもらっておきたい』とおっしゃいます。もはや、譲り合いなど到底期待できす、不毛な奪い合いと醜い押し付け合いになって最終的には親族関係まで決定的に壊れてしまうケースを私はいくつも見てきました。
これをお読みになっているあなたの大切な家族がそんなことにならないためにも、自分自身がどんな医療や介護を受けたいのか、またこの世を去った後の財産はどのように分けてほしいのか、葬儀やその後の供養などはどうしてほしいのか、またこれらのことをあなたに代わってどなたに中心になってやってもらいたいのか、それらをよく考えて元気なうちにあなたの意思としてしっかりと残しておいてください。
本当は、『縁起でもない』あるいは『うちの子供たちに限って』といって逃げてしまうのが一番簡単なことなのかもしれません。しかし、あなたが本当に家族の絆を守りたいと思うのであれば、帰省や年始などで家族が顔を合わせる機会が多くなるこの機会だからこそ、これまでの人生をゆっくりと振り返るとともに、できればご家族でざっくばらんに話し合ってみてはいかがでしょうか。
これからも私は、遺言者の想いと家族の願いが理解できる法律専門職として、ひとりでも多くの方に『想いを伝えるとともに大切な家族の絆を壊さないための遺言書』のご提案をし続けていきます。