桜の季節に想う ~ どんな寿命にも永遠はない ~
数年前から終活ブームといわれてきましたが、そのブームは一向に衰えるどころかむしろ相次ぐ様々な業種の参入によって益々過熱の一過をたどっているようです。
先日、ある終活フェアの会場で多くの高齢者が入棺体験している様子がテレビで取り上げられていました。また、ある医療関係団体のシンポジウムでは自宅での看取りについて、多くの方が共感をもっているように感じられましたが、そんな断片的な終活を見るたびに少々心配に思ってしまうのは決して私ひとりではないと捉えています。
なぜ、私が心配になってしまうのかというと、そのような断片的な終活ではどうしても綺麗な部分だけが取り上げられてしまい、反対にあまり綺麗でない部分や大変な部分はついつい覆い隠されてしまいせっかく参加されている方々には伝えられないことが多いからです。
例えば、家族葬をはじめ海洋葬や樹木葬を検討するのはとてもいいことだと思うのですが、菩提寺との関係も忘れずに配慮しているのでしょうか。お寺に何の相談もなく無宗教の家族葬をしてしまい、納骨だけお願いしますなどという対応によってトラブルになることが急増しているそうです。
また、自宅で最期を迎えたいと希望される方が増えているようですが、かかりつけ医を持つとともに、普段から家族の中でも特に中心となって最期まで責任をもって看取ってくれる方と意思の確認やシミュレーションをしっかり行っていますか。
いま巷にあふれている終活の大半は、ひとりでも多くの一般の方に関心を持ってもらうためについつい綺麗なところだけを取り上げがちです。しかし、人が最期を迎える瞬間は決して綺麗ごとだけでは済まないのです。呼吸が乱れ意識が遠のいていく人を目の当たりにしながら大変つらく苦しい決断を迫られることも覚悟をしておくような心構えが必要なのです。
もしも、そんな状況になったときにあなたの大切な人を迷わせ苦しめないためにも、あなたの希望と感謝の気持ちを実際に目に見えるかたちにしてみることが必要です。具体的には、①自分自身がこの世を去るときにどのようにしてほしいのかという希望と、②あなたの希望をかなえるために中心となってくれる人への感謝の気持ちの2つの視点を必ず忘れないで下さい。その手段として、遺言書でもエンディングノートでもご自身にとって抵抗が少なく入りやすいものから、私と一緒に書き始めてみましょう。
これからも私は、この街に生きる人々の想いと願いが理解できる法律専門職として、ひとりでも多くの方に『現実を直視した本当に役立つ終活』のご提案をし続けていきます。