対人関係が窮屈になる「思い込み」を和らげるために
今朝は富士山が美しい、12月です。
面接室にもストーブが灯りました。流行病への対処も手慣れてきたし、今シーズンはスキー・スノボに行けるかな。
冷たい風と石油の匂いとりんごの匂いで、諸行は無常で変化するものだなぁと感じることができるのは幸運なことでしょう。
眼の前の事象は、常に変化します。毎日、毎週、毎月、登ったり、降りたり。
良いことがあったり、苦難があったりと、変化するものが人生です。
それなのに、いつでもポジティブに、良い方向に!と
過剰にコントロールすることで
苦しみは生まれるのでしょう。
季節の変化に洋服の選択に戸惑いながらも、流れに身を委ねてみる。
ときには意志の力への過信に気づきを向けて、手放してみるといいでしょう。
いま、ここに起こっていることは
必修科目としての困難
であることを受け入れよう、
しかしながら、苦労を選択する必要はないね。
苦労は選択科目です。
苦労に駆け込んでしまう執着に気づきをむけて。
弁証法的アプローチは、苦痛に満ちた感情や出来事を「受容」することに焦点をあてます。
問題の解消にとりくんでいると、解消できない自分は努力が足りない、だめな人だ、などの、近代主義的な自責にハマってしまうことがあります。問題は解消されるべきだと言う社会に適応を余儀なくされていることに気づきを向けます。解消しなければいけないという執着を手放した時に、問題から離れられるでしょう。