引きこもり、不登校さんへの家族療法の視点3/3
私の10年間の臨床を振り返ると、引きこもり当事者と直接会う機会はほとんどなかった。家族療法という視点では引きこもり当事者に会わないで彼ら彼女らに介入することがある。
AC:どのようにするのですか?
Co:カウンセリングに来られた方、例えば、お母さんの自身の不安、あるいは夫婦関係をカウンセリングの場にあげるんだ。
学校時代からずっと他人と仲良くしなくてはいけないと言われてきた。しかしながら、ひとたび社会人となると他人と競争して負かさなくてはいけないと迫られる。
もちろんこれは矛盾しているが、そこそこほどほどに他人との関係を持ち、生きていく柔軟性のある自己を形成していくことが大人になることの一つでもある。
親や養育者からの過剰な期待に苛まれ、そこそこほどほどでは親に許されないという頑なな信念を抱えて、結局、柔軟性を内面に育てられず、幾度も失敗を繰り返し自分の行先が完全に塞がれたと感じてしまう。
自分らしく居ようとすると親の期待に応えられない、親の期待に応えようとすると自分らしい力を発揮できない。これを、二重拘束(ダブルバインド)と言ってとても息苦しい心理状況になる。一歩も外にでれなくなることがある。
AC:・・・自分にも覚えのある感覚でちょっと苦しいです。
Co:二重拘束は家族内に限らず、社会システムとして毎日洪水のように流れている。
でも、そのあいまいさや空気を読んで生きていくことだけを適応的、健康と呼ぶかというとそうでもないと思う。
息子は社会や家族などからある種の脅威を感じていて、例えば、過度な期待や干渉、情緒の無関心、搾取などから自分自身の安全を優先している状態であるととらえるんだ。
Co:なので、息子の引きこもりとは、両親の情緒交流の疎遠さを彼が敏感に察知して、両親の情緒交流の促進を狙っている行動、メタファーと捉えるんだ。
つまり、家族の崩壊を防ごうとして身を挺している状態だ。
AC:家族の崩壊を防ごうとしている?
Co:すごい力だろ?
引きこもる力とは、自分自身を守る力であり、家族の崩壊を防ぐメタファーであもあると捉える。家族療法の概念では、その力の発奮から家族や社会がどんなことを学ぶかに関心を寄せる。本人の行動とは誰に対するどんなメタファーとなのだろうか?と。
息子の引きこもり行動は、親や家族にとってどのようなやメリットがあるのだろうか?と。