その子の内側の体験の世界9
マイケル・ポプキンによるアクティブ・ペアレンティングから、これからの子育てについてご紹介します。
民主的な子育て
<親と子どもが平等だということの意味>
人類の歴史をみると、いつの時代も人びとは平等を求めて闘ってきました。子どもたちが、自分は親と平等だと思っているという考え方は、多くの親にとって受け入れがたいものかもしれません。しかし「親と子は平等である」という考え方を否定する前に、平等という言葉は、本当はどのような意味なのかをちょっと考えてみましょう。
平等とは「同じ」という意味なのでしょうか?いいえ、そうではありません。みなさんが混乱するのはここなのです。平等であるということは「違っている」ともいえます。現実に私たちは一人ひとり個性がありユニークな存在ですから、お互いにたくさんの違いがあります。また人種、宗教、性の違いについても同じことが言えます。その違いは、人種を織物に例えると美しい部分であり、まして平等を妨げるものではありません。
子どもたちはさらに、もっと違っており、多くの点で親と平等ではありません。例えば、子どもたちは能力という点からみても親と同じではありません。また、大人は身体的にも子どもより大きく、強く、それに子どもたちにはない社会的、経済的な力を持っています。成熟という点でも、子どもたちとは違って、長年の間、身体、心、感情的な安定性などを発達させてきています。そして、役割という点でも当然違っています。親の役割は家族のリーダーであるのに対し、子どもは学習者、つまり学び育つ人なのです(もっとも、親も学び続けていますが)。
では、親と子どもは平等である、というのはどういう意味なのでしょうか。
まず言えるのは「人間としての尊厳と尊敬を求める権利は全く同じだということ」です。私たちは、平等という考え方を子育てにあてはめることには慣れていません。しかしもはや子どもたちは、無条件に親の命令に従う存在になりたいと思ってはいないでしょう。現に私たちは民主主義と平等を理想とする社会に生きているのですから。
次回に続きます。