スポーツや体育を運動へと転換するためには
記憶と行動のシステムには、短期記憶や長期記憶だけでは説明がつかないことがあります。この点を補完する考え方に、「ワーキングメモリ(作業記憶)」という概念があります。人間の複雑な認知作業において、必要となる情報を一時的に利用できるような短期記憶として保持し、それを処理するしくみ又は情報を集めて総合的に処理するしくみといういわば作業台のようなものです。
例えば、暗算で三桁の足し算をするとき、一桁目の数字を足して、くり上がる数を記憶しながら、二桁目の計算を行います。繰り上げる数は、一時的に記憶・保持したものであり、すぐに忘れてしまいます。ワーキングメモリの作業後、利用される情報の中には海馬に送られずにすぐに消失するものが多いのです。
ワーキングメモリとして並列処理して統合しないと遂行できない課題がいくつか想定されます。その課題を遂行しているとき、脳のどの部位が活性化するかを調べた研究によれば、それは前頭連合野でした。特に活性化していたのは、背外側部でした。
但し、前頭連合野だけが活性化されることは少なく、多くの場合、同時に頭頂連合野や他の部位も活性化しています。前頭連合野を中心として、多くの部位が連絡し合って、作業を遂行していると思われます。
また、課題の難易度によって活性化の度合いが異なり、適度な難しさのときに最も活性化することもわかっています。
ワーキングメモリでは、非常に高次の複雑な作業が行われています。その神経回路で調整機能を果たしているのが、ドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリンなどの各種神経伝達物質です。
特にドーパミンは、前頭連合野に多く分布しています。サルにドーパミンとノルアドレナリンを阻害する薬を投与すると、ワーキングメモリ課題ができなくなることが知られています。反対に課題ができなくなった動物に対してドーパミンを補給すると、障がいが改善されることがわかっています。
但し、ドーパミンが多すぎても、ワーキングメモリは阻害されます。このことから、ワーキングメモリの活性には、神経伝達物質が適度な濃度で放出されることも重要と考えられています。
前頭連合野の役割は、ワーキングメモリとしての機能だけではありません。人間特有の高次機能に、様々な形で関与しています。その働きをさらに理解するために、ある患者のケースからみてみます。
19世紀半ば、アメリカのある工事現場で現場監督を務めていたフィネアス・ゲージという男性がいました。いつも通り仕事をしていたある日、岩の爆破作業中に事故が起こりました。火薬の爆発で金属棒が彼の顔面を直撃し、頭の中央から飛び出しました。幸いにも命はとりとめられ、大きな障がいは残りませんでしたが、性格だけが別人のように変わってしまいました。計画性や社会性がなくなり、感情の起伏が激しくなったのです。
彼が事故により損傷を受けていたのは、前頭連合野、特に外側部や眼窩部でした。
このことから前頭連合野、特に外側部や眼窩部は、計画性、社会性、感情のコントロールなど、人間の性格や社会的行動などにも深く関わっていると考えられることがわかりました。
次回に続きます。