「楽しい、心地よい運動」は、優越性追求の方向付け
前回、「生きる力」、つまり子どもに有用な道を経験させることが、優越性の追求であり、その有用なものは「共同体感覚」であることを説明しました。そして、もちろん脳では「シナプスの可塑性」が働いていることを述べました。
今回はその実証例を紹介します。運動での共同体感覚が脳の可塑性を生み出しているのです。前のコラム「培ってきた脳の発達」でお話ししましたが、アメリカの医学博士ジョンJ.レイティは、著書「脳を鍛えるには運動しかない」NHK出版において、少し長くなりますが、次のように述べています。
<フィットネスを超えて>
多くの人と同じように、わたしも体育なんかどうでもいいと思いながら育った。いくらか楽しみはしたが、覚えている限り、体育の授業でなにかを学ぶということはなかった。おとなになって、教師や医者を前にして、運動は気分や注意力、自信、社会性にプラスの影響を及ぼしますと講演するようになっても、体育がその手段になるとは思いもしなかった。わたしの経験では、体育は運動をするものではなく、むしろ逆に運動する気をなくさせるものだった。内気な子や不器用な子、病弱な子―つまり、運動の効果を最も得られるはずの子どもたち―が押しのけられ、ベンチでほかの子の活躍を眺めているなんて、なんと残酷な皮肉だろう。当時ならジェシー・ウォルフラムのような生徒はのけ者にされ、恥ずかしい思いをしながらすごすしかなかったはずだ。わたしは何年も、多くの患者から体育で屈辱を味わった話を聞かされていた。
ネーパーヴィルの奇跡が起きたのは、ローラーとジェンタルスキの力によるところが大きい。「以前、体育では懸垂をさせていました」と、ジェンタルスキは後悔するような口調で振り返る。「うちの学区の男子生徒の約65パーセントは懸垂が1回もできなかったと思います。体育の授業に出て、しくじりなさい。というわけです。」
ジェンタルスキは鬼軍曹から体と脳と心の彫刻家へと変身したわけだが、なにより驚かされるのは、彼が根本的なところから体育を変えようとしていることだ。たとえば、彼がセントラル高校で起こした最も革新的な変化のひとつは、スクエアダンスを新入生の必須科目に加えたことだ。それのなにが新しいのかと思うかもしれないが、その目的はダンスの習得よりむしろ社会性を身につけさせるところにあるのだ。生徒たちはパートナーと踊るだけでなく、会話することも求められる。いろいろな意味ですばらしいアイデアだ。最初の数週間は、全員、台本を与えられ、それに沿ってパートナーと会話し、一曲踊り終えるたびにパートナーを替える。授業が進むにつれて生徒たちは台本なしで会話することを指示される。最初は30秒、それをだんだん長くしていく。最終試験では、15分間パートナーとおしゃべりをしたのちにパートナーに関する情報を10件、正確に覚えているかどうかを問われる。
内気な生徒のなかには、人と話したり友だちをつくったりする方法を学ぶ機会がなく、自分の殻に閉じこもり、とくに異性を避けようとする子がいる。しかし、ジェンタルスキはスクエアダンスのクラスに出た生徒は、ひとりだけ選び出されたり、社会性を養う特別クラスに追いやられたりせず、怖さを感じなくてすむ設定で会話や交流の仕方を練習できるのだ。この活動は気晴らしになる一方で、生徒の自信も育てる。対話のこつを身につける生徒もいれば、気後れを克服するので精一杯という生徒もいるが、皆がやっていることなので、それほど照れくさくはない。
わたしがネーパーヴィル革命の詳細や、子どもたちが体育の授業で社会性を学んでいることを話すと、同僚たちは驚いて言葉を失う。わたしもそうだったが、圧倒されてしまうのだ。これまで長年にわたって、わたしは自ら「社会性」と名づけたものの問題をつきとめ、解決しようとしてきたが、ジェンタルスキは人とのかかわりが希薄な現代において、ますます孤独になっていくわたしたちの生活を変える完璧な処方箋を見いだしたのだ。それも、なんと体育の授業で!環境と機会とやる気を与えることで、人とのかかわりに不安を感じる生徒は、人に近づく方法や、距離の保ち方、いつ相手に話せるかを練習し、プラスの記憶をインプットしていく。運動は社交の潤滑油となり、不安を減らすので、こうした学習を進める上で重要なはたらきをする。生徒の脳は運動によって準備が整い、経験を記録する回路が作られる。その経験は、最初は難しく思えるかもしれないが、クラス全員で一緒にやっているうちにそれほどでもなくなってくる。これは直感的に考えても、自意識過剰で傷つきやすい年ごろの生徒を打ち解けさせるすばらしい方法だ。ジェンタルスキは、生徒全員を運命共同体にしたてて道具を与え、自信をもつように励ましている。ダンスをすることで、すべてがうまくいくのだ。
ネーパーヴィルの保護者の多くが子どもの好きな教科は体育だと語る理由は、こういうところにあるのだろう。保護者のひとり、オルファット・エル=マラックの娘二人はマディソン中学校とセントラル高校に通った。「あれは単なる体育ではありません。子どもたちの内面でなにかが起きるのです」彼女は言う。「やる気を起こさせるプログラムと言っていいでしょう。娘たちは自分自身を信じています。二人とも強い自信をもっていますが、始めからそうだったわけではありません。203学区の体育プログラムのおかげです」(p40-43)
次回に続きます。