診断は操作的診断
子どもの行動を第三者(保護者も含めて)が外から観察したものが診断です。当然ながら、診断マニュアルや本には概ね外から観察した子どもの行動の特徴が記述されています。当然にそのような客観的な把握が大切なのはもちろんですが、とはいえ、私たちは行動を生きているわけではありません。外からの「行動」と観察されるものは、本人の内側からすれば「体験」であり、私たちは体験の世界を生きています。つまり、子どもを理解するとは、その体験を理解することになります。
ここで重要なのは、例えば、太郎くんは外からの目にはいつも落ち着かず乱暴だということと、太郎くんの目には外がどう映り、何をどう感じているのかということとは、むろん無関係ではありませんが、別のことです。「多動で衝動的だからADHDである」とは、外からみた太郎くんの行動の理解であって、太郎くん自身の体験の理解ではありません。
このように、体験とは当事者の<こころ>のなか、主観のなかで起きているものですから、当事者から丁寧に聴くことが必要であり、それに加えて推測や想像に頼るほかないところがあります。言葉によるコミュニケーションがまだ不十分な幼い子や発達に大きなおくれをもつ子ならなおさらです。また、当事者から聴くといっても、乳幼児については大人からの視点からの「憶測」や「投影」を出ないところが避けられません。つまり、発達論は「揣摩(しま)」の部分を避けては通れません。
また、どんな子どもたちの体験世界もめいめいそれぞれだけれども、とりわけ発達障害をもつ場合、一人ひとりの体験のあり方の個人差、個人間のばらつきは大きくより多様となります。個人ごとの独自性がとても高く、知的障害の体験はこう、自閉症はこうと単純には決めつけられない多彩さがあります。
保護者の皆さんは、子どもの内なる体験の世界をご理解いただくことがたいせつです。
※参考文献 子どものための精神医学 滝川一廣著