酒と睡眠の微妙な関係
7月12日 23:00
37年前のちょうどこの時間帯、私は手術台の上にいました。
緊急の帝王切開を前にして、手と足への血管確保と自動血圧計その他で諸々5本の医療器具につながれ、両手を固定されたまま、腰椎麻酔が効いてこなくて、お腹をチクチク針でつつかれながら、その時を待っていました。
妊娠中は用心していました
妊娠後期に入って、ずっと調子は悪かったです。
何だか脚がむくみっぽく、排尿すると泡が残って、血圧も130代/80代
これは自分の血圧ではないと不安を訴えましたが
むくみは妊娠後期には出やすい。とか
この程度の血圧上昇は、気にしなくてもいい。とか
初めてのお産だったので「ふつうの状態」が分からず、
ただ漠然とした不安があって、日常生活は自分にできることは用心していました。
産科病院の健診以外にも、市町の妊婦教室の健診や保健所が開催する健診にも参加して、血圧や浮腫の程度をチェックしたり
それでもやっぱり「しんどい」
朝起きた時、足の裏がチクチク痛い
むくむ
尿に泡が残る
とにかく眠い。
受検こそ行きませんでしたが(薬剤師国家試験の前の週でした)、学生時代に臨床検査技師の資格取得も目指して勉強していたので、さまざまな懸念が頭をよぎります。
予定を1週間早めて300㎞あまり離れた実家に送ってもらったものの、久々の実家で眠ってばかり
その姿を見た母が「すぐに病院に行って!」と勧めてくれて命拾いしたようです。
7日に実家に帰って数日後の11日、嫁ぐ前に勤めていた病院を受診しました。
仲の良かった臨床検査技師が、こわばった顔で診察場の医師に検査結果を報告に来た時のことが忘れられません。
言いにくそうに、私の目を避けるようにして
たんぱく定量5g
そう聞こえたように思いました。
すぐに車椅子に載せられて入院となりましたが、見知った顔の助産師たちが時間ごとに測定する血圧計のマンシェットが、強く締まり過ぎて痛いのです。
血圧どれくらい?
聞いても、誰も答えてくれません。
改善してからこっそり教えてくれた血圧は、240/170mmHg
入院した日が変わってしばらくした頃、数日前に私を送ったばかりの亭主は電話でたたき起こされ、再び300kmあまり走ることに
その時、医師から伝えられたのは
「今夜がヤマ、運よく助かっても透析は免れられないでしょう」
両親も亭主も「青天の霹靂とはこんなことなんだろう」「空が晴れている事すら、信じられない感覚だった」と。
そして、この夜中の手術となったわけですが、麻酔が効いてこない。。
運悪く、小児科医も外科医もつかまらない。
ひとりでやるしかないと腹をくくって手術を始めようとしているのに、麻酔が効かない。
伝説の4本カラム
「人の倍麻酔入れているのに、何で効いてこないんだ!」
おもわず手術台の私に言った言葉が
「あんた、大酒飲みか?」
そう言われてふと思い出したのが「伝説の4本カラム」
学生時代研究室で、実験室にいたことを思い出しました。
高麗人参やあまちゃづるの成分分析の最終段階をしていて、毎日このようなカラムに有機溶媒を入れて分離していました。
それも、普通の人は1人1本立てるところを私は最終的に4本
朝から夜中まで実験室にいられるように、弁当は毎日2食持って出ていました。
その後、4本カラムは研究室で伝説になったと聞きました。
大量の有機溶媒の中で研究していましたが、関係ありますか?
と、わざとらしく聞いた直後、がっかりした声で「もう待てんから切るわ」と言われたのを覚えています。
(わたし、痛いって言ってるのに~)
今、運よく生きています
このときの医師は、当時1万6千人以上の赤ちゃんを取り上げていて、今まで私のようなヘルプ症候群を扱ったのは2例目だと言っていました。1例目は、検査技師だったそうです。
あきらめてと言われていた赤ちゃんは、術前検査で約2400gと言われていたにもかかわらず1900g台まで体重低下していて、まさに命の危機に瀕していました。にもかかわらず、ずぽっと取り出してもらった後、一呼吸おいて、大きな産声を上げたのです。
先生、赤ちゃんを助けて欲しい。
そう言っても、先生は返事をしませんでした。
大急ぎで粗く私のお腹を縫った後、すぐに赤ちゃんの処置に移ってくれ、オペ室から保育器で運び出される我が子に向かって
おい、頑張れよ!がんばれよ!
と、何度も声を掛けてくれたのを聞き逃しませんでした。
その子にも、どれだけお願いしても、自分自身の歩行許可が下りてベビーに会いに行くまで、2週間会わせてもらえませんでした。
後で聞くと「会えば情が移るじゃない?」と、
命の危機にある状態を小児病棟の看護師たちが力を合わせてくれていました。
病院のみなさんには、本当にもう感謝しかありません。
あきらめずに、改善
1人目の危機的な出産後、腎臓内科にも受診しながら自分でも漢方でからだの改善を試み、その後3人の子どもを産んでいます。
入院中は10日間ほど無塩食で過ごしていて、今でも梅干しが怖くて食べられないくらいです。
外食が続くと、途端にからだが悲鳴を上げるので、Go-to-eatも休憩を挟みながらになっています。
このことで、あきらめずに生活習慣を整えることで、からだは改善させられることを知りました。以後今でもみなさんの生活習慣病の予防と改善対策を一緒に考え、店頭指導しています。
今大学で行っている研究も「母子から考える糖尿病予防」です。
勝因は、35歳までに生活習慣を整えること
拙著「糖尿病は栄養をとれば健康に戻る」(経済界)を出した時にお世話になった栄養の大先生西牟田守先生によると、
「腎臓は35歳まで成長する」と言います。
筆者が透析の可能性と言われた腎臓の改善を見たのも、35歳前と言う年齢によるところが大きかったようです。
高齢出産が増えています。
もしチャンスがあるならば、1歳でも若く出産に臨んでいただく事をお薦めしています。
自分の時のこともあって、腎臓を少しでも保護する方法で妊娠確率を上げようとしています。
優先順位は、年齢制限のあるものから
健やかに子育てしていただきたいと思っています。